山あいの小さな里のはずれに、古い柿の木が立っていた。
その根元にぽっかりと開いた穴が、たぬきの親子の住みかだった。
母たぬきの名前はフウ。
灰色がかった毛並みと、少し切れ長の目をしていて、里の者たちからは「賢いたぬき」と噂されていた。
子どもは一匹、まだ丸々とした体つきのポン。
好奇心が強く、何にでも鼻を突っ込みたがる年頃だった。
「ポン、日が暮れる前には戻るんだよ」
フウがそう声をかけると、ポンは元気よく尻尾を振った。
「はーい! 今日は川のほうまで行ってみる!」
ポンは最近、人の里に興味津々だった。
畑に並ぶ大根や、夜になると灯る家々の明かり。
それらは森の中にはない、不思議なものばかりだった。
その日、ポンは川辺で人間の子どもと出会った。
年は同じくらいで、石を水切りして遊んでいる。
二人はしばらく距離を保ちながら、同じ水面を眺めていたが、やがて子どもが落とした団子を、ポンがこっそり拾った。
驚いた子どもと目が合い、ポンは慌てて森へ逃げ帰った。
「母ちゃん、人間って……怖くないの?」
息を切らして聞くポンに、フウは静かに答えた。
「怖いかどうかじゃない。お互い、知らないだけなんだよ」
数日後、里では畑荒らしの話が広がった。
たぬきの仕業だと決めつける声もあった。
フウはそれを察し、ポンに言った。
「しばらく里には近づかない。生きるっていうのは、我慢も覚えることだからね」
その夜、激しい雨が降った。
川は増水し、里へ続く道が崩れた。
あの人間の子どもの姿が、ポンの頭から離れなかった。
「母ちゃん、助けに行こう」
ポンの真剣な目を見て、フウはうなずいた。
二匹は雨の中、川へ向かった。
流されそうになっていたのは、あの子どもだった。
フウは知恵を使い、倒木を押し流れを弱め、ポンは必死に声をあげて子どもを岸へ導いた。
翌朝、里の人々は無事だった子どもと、川辺に残るたぬきの足跡を見つけた。
誰も何も言わなかったが、それ以来、畑の端には余った作物がそっと置かれるようになった。
柿の木の下で、ポンは母の隣に丸くなる。
「母ちゃん、あの子、助かったかな」
「ああ。きっと覚えてるよ。見えなくても、心のどこかでね」
風に揺れる柿の葉の音を聞きながら、たぬき親子は静かに夜を迎えた。
森と里の間で生きるということを、少しだけ理解しながら。


