光の届かぬ海で、命は語り合う

面白い

深い、深い海の底。
太陽の光が千年も前に忘れ去られた場所で、青黒い闇が静かに息づいていた。
そこでは音も色も薄く、かわりに“気配”だけが濃く漂っている。

その闇の中を、ほのかな光がゆっくりと泳いでいた。
チョウチンアンコウのルミは、頭の先の小さな灯りを揺らしながら、海底の裂け目を巡回するのが日課だった。
光は獲物を誘うためのものだが、同時に、孤独を和らげる唯一の友でもあった。

ルミが通りかかると、砂の中からカサリと影が動く。
ダイオウグソクムシのグスだ。甲殻に刻まれた無数の傷は、長い年月を生き抜いた証だった。
「今日も静かだな」
グスはそうつぶやき、ゆっくりと体を丸め直した。
ここでは“今日”も“昨日”もほとんど変わらない。
それでも彼らは、変わらぬ日々の中に小さな違いを見つけて生きている。

さらに深く、熱水噴出口のそばでは、ユノハナガニの群れが湯気のような水流に身を寄せていた。
灼熱と氷点下が隣り合うこの場所は、命にとって過酷でありながら、同時に豊穣でもあった。
目の見えないカニたちは、水の振動と化学の匂いで世界を知り、互いの存在を確かめ合っている。

その日、深海に珍しい出来事が起きた。
遠くから、低く長い振動が伝わってきたのだ。
海底がわずかに鳴り、古い岩が軋む音がした。
生き物たちは本能的に動きを止め、闇に耳を澄ませた。

ルミは光を少し弱め、グスは体を伏せ、カニたちは岩陰に集まった。
やがて振動は収まり、再び静寂が戻る。
何事もなかったかのように、闇は元の深さを取り戻した。

「生きているな、まだ」
誰ともなく、そう感じた。

深海の生き物たちは、誰に見られることもなく、誰に褒められることもない。ただ、耐え、適応し、命をつないでいる。暗闇の中で光る小さな灯り、硬い殻、熱に耐える体――それらはすべて、生きるための物語だ。

遥か上の世界で嵐が吹こうとも、星が流れようとも、深海は深海の時間で進み続ける。
静かで、厳しく、そして確かに温かな命の海として。