石垣の影の小人たち

不思議

森と町の境目に、古い石垣が連なっている場所があった。
昼間は誰も気にも留めない苔むした石の影だが、夜になると、そこは小人たちの世界へと姿を変える。
背丈は人の手のひらほど、靴は木の実の殻、帽子は枯れ葉で編まれている。
彼らは自分たちを「縫い目守り」と呼んでいた。
壊れかけたもの、ほころび始めたもの、目には見えない世界の裂け目を見つけ、そっと縫い直すのが役目だった。

縫い目守りの中で、いちばん若い小人がミオだった。
ミオはまだ針仕事が得意ではなく、糸を絡ませては年長の小人たちにため息をつかれていた。
しかし、ミオには特別な力があった。
世界の不調和を、音や匂いとして感じ取ることができるのだ。
風が不自然に止まる瞬間、時間がきしむような気配――ミオはそれを見逃さなかった。

ある晩、町から重たい不安の匂いが流れてきた。
ミオは胸騒ぎを覚え、石垣を抜けて町へ向かう。
匂いの正体は、古い時計塔だった。
長年町を見守ってきたその塔では、歯車がすり減り、時間そのものが引っかかっていた。
放っておけば、町の朝と夜は少しずつずれ、人々の心も乱れてしまう。

ミオは針箱を開き、震える手で糸を通した。
しかし裂け目は大きく、一人ではどうにもならない。
針は弾かれ、糸は切れそうになる。
ミオは唇を噛みしめ、諦めかけた。
そのとき、階段を上ってくる足音がした。
ランタンを持った人間の老人が、時計塔の掃除に来たのだ。

老人は床に落ちていた糸くずを見つけ、そっと拾い上げた。
「小さな直しほど、丁寧にしないとな」
独り言のようなその言葉は、ミオの心に温かく響いた。
老人は小人の姿を見ることはなかったが、ランタンの光を少し傾け、暗がりを照らした。
その光が、ミオの針先を導く。

ミオは深く息を吸い、ゆっくりと針を進めた。
一針一針、世界を傷つけぬように。
糸は次第に滑らかに走り、裂け目は静かに閉じていく。
歯車は音を整え、時間は再び正しい流れを取り戻した。

作業を終えたミオが頭を下げると、老人は何も知らぬ顔でほうきを手に取り、塔を後にした。
夜明け前、ミオが森へ戻ると、仲間たちが待っていた。
年長の小人は黙って頷き、ミオの肩に手を置いた。
それは、縫い目守りとして認められた証だった。

それ以来、町の人々は「最近、時計がよく合う」「朝が心地いい」と感じるようになった。
理由は誰にもわからない。
けれど今日も、小人たちは石垣の影で針を持つ。
ミオは新しい糸を整えながら思う。
小さな存在でも、世界を支えることはできる。
大切なのは、気づく心と、誠実な一針なのだ。