カイの島風

面白い

南の島の入り江に、一本のヤシの木が立っていた。
白い砂浜に影を落とし、季節が巡っても変わらない穏やかな姿で、島に訪れる人々を静かに見守ってきた。
島の人々はその木を「カイ」と呼んでいた。
古くからそこにあり、まるで島の長老のように、誰よりも海と風のことを知っていると信じられていたからだ。

カイが芽吹いたのは、はるか昔のこと。
嵐の夜、遠くの海から流れ着いた一粒の種が、砂に埋もれるようにして浜に辿り着いた。
翌朝、太陽が昇ると、種はまるで「ここに根を下ろす」と決めたかのように静かに息づき、数日も経たずに小さな芽を出した。
その頃から島にはほんのわずかしか人がいなかったが、誰もがその芽を見て「強い子になる」と口をそろえて言った。

成長したカイは、潮の香りを吸い込みながら、今日も空に向かって背を伸ばす。
近くにある岩場の影には、毎日やってくる少年がいた。
名はリオ。
島で生まれ育った彼は、カイのそばに座ると、不思議と心が落ち着くのを感じていた。

「今日はどんな話を聞かせてくれる?」
リオがそうつぶやくと、海風がそよぎ、ヤシの葉がさらさらと鳴った。
もちろんカイは言葉を話せない。
それでもリオには、その葉音が返事に聞こえるのだった。

ある年の夏、リオは海の向こうの大きな街へ行く話を持ちかけられた。
島の学校の先生が「きみなら、もっと広い世界を見てほしい」と推薦してくれたのだ。
けれどリオは迷っていた。
島を離れることも怖かったし、何よりカイと過ごす時間がなくなるのが寂しかった。

悩む彼の前で、カイはその長い幹をきしませ、大きな葉を揺らした。
まるで「行っておいで」と背中を押すように。

リオは風に吹かれながら思った。
――カイはいろんなものを見てきたんだ。
嵐も、干ばつも、人が去っていく様子も。
それでも折れずに立ち続けている。
なら、ぼくも新しい世界に踏み出してみよう。

翌朝、リオは決意を胸に浜へ向かい、カイの前に立った。
「行ってくるよ。また話を聞いてね」

カイは静かに影を揺らし、彼の言葉に応えた。

リオが島を離れてから、季節がいくつも巡った。
街での生活は新鮮で、楽しいことも苦しいこともたくさんあったが、リオは困難に出会うたび、カイの姿を思い出した。
「どんな風にも負けないで、ただ空に向かって立っている存在」。
それが彼の支えになった。

そんなある年、島に大きな台風が近づいたという知らせが届いた。
ニュース映像には、荒れ狂う波が浜辺に押し寄せる様子が映っていた。
リオは胸が締めつけられるような不安を抱えた。
「カイは無事だろうか……」

台風が過ぎ去った後、リオは島へ帰る決意をした。
久しぶりに降り立った故郷は、思っていた以上に静かだった。
砂浜には流木が散乱し、見慣れた風景が変わってしまっている場所もあった。

そして、カイが立っていたはずの場所へ行くと、そこには――

一本のヤシの木が、しっかりと空を見上げて立っていた。
葉こそ少し折れ、幹には傷がついていたけれど、その姿は確かにカイだ。

リオは胸が熱くなり、気づけば駆け寄っていた。
「よかった……! 本当に強いんだね」

すると、優しい風が吹き、カイの葉がさわさわと揺れた。
まるで「おかえり」と言っているかのように。

リオはしばらくその木の下に座り、幼い頃のように海を眺めた。
街で得た経験も、悩んだ日々も、すべてがカイに報告したい物語になって胸に溢れてきた。

「ただいま、カイ。これからも、またここで話をしよう」

その日、満ち潮の海は夕陽を映し、カイの長い影は静かにリオの足元へ寄り添っていた。

――島のヤシの木の物語は、こうしてまた新しい章を迎えたのだった。