花柄の部屋

面白い

春の光がカーテンの隙間から差し込んで、花柄のレースが床に影を落とす。
その部屋の主、里奈は、今日もゆっくりと紅茶を淹れていた。
カップもソーサーも、もちろん小さなバラ模様。
花柄でないものを探すほうが難しいくらい、部屋中が花で満たされている。

壁紙は淡いミント色に白いデイジー。
ソファにはチューリップ模様のクッションが並び、ベッドカバーには大輪のカーネーションが咲いている。
「花があると、部屋が呼吸しているみたい」
里奈はそう言って微笑む。

仕事は在宅のテキスタイルデザイナー。
花柄の布地を描くのが彼女の専門だった。
幼いころ、祖母が着ていたエプロンの小花模様が大好きで、それがすべての始まりだった。
祖母はもういないが、今でもあのエプロンは大切に押し入れの中にしまってある。
端がすり切れ、ところどころ色褪せているのに、それを見るたび心がやわらぐのだ。

***

ある日、編集部から連絡が入った。
「次のシリーズは“無地”のテーマでお願いしたいんです」
電話の向こうの担当者が申し訳なさそうに言った。

「無地……ですか?」
里奈の声は少し震えた。

「はい。最近はシンプルなデザインが人気で。もちろん、あなたらしいやわらかい色使いはそのままでいいんです」

電話を切ったあと、部屋の中の花たちが、急に色を失ったように見えた。
無地。模様がない世界。
それは、花を失った庭のようだった。

***

数日間、里奈は何枚もスケッチを描いては捨てた。
筆を持つたびに、手が勝手に花の形を描いてしまう。
線の先が自然と丸まり、花びらになってしまうのだ。

「花がないと、私じゃないみたい……」
呟いても、答えるのは時計の音だけ。

そんなある夜、押し入れの奥から、ふと思い立って祖母のエプロンを取り出した。
やわらかい布地に指をすべらせると、かすかに石鹸の香りが残っている気がした。
「おばあちゃん、私、どうすればいい?」

そのとき、月明かりが差し込み、エプロンの花々がほのかに光ったように見えた。
よく見ると、花と花のあいだには、ほんの少しだけ、模様のない“余白”がある。
その余白が、花を美しく見せていたのだ。

「……そうか」
里奈はそっと微笑んだ。

***

翌朝、彼女は新しいデザインを描きはじめた。
背景は無地。
けれど、その中に、ほんのひとひらの花びらが舞っている。
何もないようで、そこには静かな息づかいがある。

納品したデザインは、編集部で大好評だった。
「無地なのに、なぜか温かい。あなたらしいやさしさがあるね」と言われた。

里奈は心の中で祖母に礼を言った。
花は形を変えても、生き続けるのだ。

***

季節がめぐり、春がまたやってきた。
仕事部屋の窓辺には、新しく買ったガーベラの鉢が置かれている。
里奈は紅茶を注ぎ、花柄のカップをそっと手に取った。

机の上には、次の仕事のスケッチブックが開かれている。
そこには、小さな花とたっぷりの余白。
それは、花と花のあいだに流れる“静かな時間”を描いたような模様だった。

「ねえ、おばあちゃん。
花柄って、模様だけじゃなくて、想いそのものなんだね」
風がレースのカーテンを揺らす。
白い花の影が壁にゆれて、まるで祖母が微笑んでいるようだった。

紅茶の香りとともに、里奈はゆっくりとペンを走らせる。
その手の中に、たしかに花が咲いていた。