夏祭りの夜、屋台の灯りがぽつぽつと並ぶ通りに、甘い香りが漂っていた。
湊(みなと)はその匂いをたどって、チョコバナナの屋台の前で足を止めた。
――懐かしい。
思わず胸の奥がきゅっとなる。
子どものころ、毎年この祭りに来ては、必ずチョコバナナをねだった。
母の手を握りながら、「金のアラザンがのってるやつがいい!」と駄々をこねた記憶が、屋台の提灯の光に照らされるように浮かんでくる。
湊はいま二十八歳。
東京の会社で忙しく働き、久しぶりに地元へ帰省したばかりだった。
昔はこの通りもにぎやかだったのに、今は半分くらいの屋台しか出ていない。
それでもチョコバナナの店だけは、変わらずそこにあった。
「いらっしゃい!」
明るい声に顔を上げると、屋台の奥から笑顔の女性が現れた。
黒髪を後ろでまとめ、金色のエプロンをつけている。
どこかで見た顔だと思った瞬間、彼女の方が先に気づいた。
「もしかして、湊くん?」
「え……もしかして、あかり?」
中学の同級生だった。
祭りの帰り道、一緒に金魚すくいをして、チョコバナナを半分こした記憶がよみがえる。
あかりは笑って、チョコバナナをくるくる回しながら言った。
「おばあちゃんの屋台、私が継いだの。ほら、昔ここで食べたでしょ?」
「覚えてるよ。おばあちゃん、やさしかったな」
湊は懐かしさと少しの照れくささを感じながら、一本注文した。
あかりが手際よくバナナに竹串を刺し、とろりとしたチョコをくぐらせる。
表面に金と銀のアラザンが散りばめられていく。
その一粒一粒が夜空の星みたいに光っていた。
「はい、金のやつ。特別サービス」
「ありがと。昔みたいだ」
湊は一口かじった。
ひんやりとしたチョコの甘さと、熟れたバナナのやさしい香り。
舌の上で混ざり合うその味に、忘れていた時間が蘇る。
――おばあちゃんが亡くなって、屋台もしばらく出てなかったんだ。
そう言うあかりの声は、どこか遠くを見ていた。
「でもね、また始めたの。おばあちゃんの味を覚えてる人が、きっとどこかにいると思って」
湊はうなずいた。
彼女の言葉に、いつか自分が失くしてしまった「なにか」を見た気がした。
都会での生活は忙しく、数字と期限に追われる毎日。
食べ物の味さえも記号のようにしか感じなくなっていた。
けれど今、たった一本のチョコバナナが、心の奥をやわらかく溶かしていく。
「あかり、来年もここにいる?」
「うん。きっとね。湊くんもまた来てよ」
「じゃあ、約束」
湊は笑って、チョコバナナを掲げた。
あかりも同じように一本持ち上げて、軽くぶつけた。
チョコの端がこつんと鳴り、小さな音が夜空に響く。
その瞬間、花火が打ち上がった。
ぱあっと光が広がり、金のアラザンが花火の火花みたいに輝いた。
あかりがその光を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。
「おばあちゃん、きっと見てるね」
「うん、きっと」
夜風が二人の間を通り抜けていく。
屋台の灯りがゆらめき、チョコの甘い香りがふわりと漂った。
祭りが終わるころ、湊は最後の一口をゆっくりと味わいながら思った。
――また来年も、ここに来よう。
その日から一年。
湊は再び夏祭りの通りに立っていた。
屋台の並びは去年と同じ、でもどこか色が鮮やかに見える。
チョコバナナの屋台の前で立ち止まると、あかりが気づいて笑った。
「おかえり」
「ただいま」
二人の笑顔が、金のアラザンよりもきらきらと光っていた。

 
  
  
  
  
