冬が近づくたび、結衣は押し入れの奥から一枚の毛布を取り出す。
淡いクリーム色のその毛布は、もうところどころ毛玉ができていて、端の糸も少しほつれている。
けれど、柔らかくて、包まると安心する。
どんなに寒い夜でも、その毛布があれば眠れるのだ。
結衣がその毛布を手に入れたのは、小学三年生の冬だった。
熱を出して寝込んだとき、母が新しい毛布を買ってきてくれた。
「これで、あったかくして寝ようね」と言いながら掛けてくれたその瞬間の感触を、結衣はいまでもはっきり覚えている。
あのときの毛布のぬくもりと、母の手のぬくもりは、同じ温度をしていた。
それから十年以上が過ぎ、結衣はひとり暮らしを始めた。
都会のワンルームは狭く、ベッドの下に収納スペースもない。
引っ越し荷物を減らすとき、母は「毛布は新しいのを買えばいいじゃない」と言ったが、結衣は首を振った。
「これだけは持っていく」
あの毛布がないと、なんだか心細い気がしたのだ。
仕事を始めてからの結衣は、忙しい日々に追われていた。
慣れない通勤電車、上司の叱責、思うように進まない仕事。
帰ってきても、部屋は静かで、誰もいない。
そんな夜、結衣は毛布に包まりながら、深く息を吐いた。
「……お母さん、今ごろ何してるかな」
ふと、母の作る煮込みうどんの匂いを思い出し、目頭が熱くなる。
泣きたくなる夜でも、この毛布にくるまっていると、不思議と少しだけ元気が出た。
まるで毛布が母の代わりに寄り添ってくれているようだった。
ある冬の朝、出勤前に雪が降り始めた。
窓の外を見ながら、結衣は毛布をたたんでベッドの端に置いた。
ふと見ると、端のほつれがひどくなっている。
糸を切るか迷ったが、手を止めた。
「……まだ、直せるかもしれない」
針と糸を取り出し、丁寧に縫い合わせた。
小さな穴をひとつひとつ埋めていくうちに、心の中の穴まで少しずつふさがっていくような気がした。
その夜、母から久しぶりに電話がかかってきた。
「最近どう? 寒くなってきたけど風邪ひいてない?」
「うん、大丈夫。毛布があるから」
結衣がそう言うと、電話の向こうで母が笑った。
「まだ使ってるの? あれ、もう古いでしょ」
「うん。でもね、これが一番落ち着くんだ」
母は少し沈黙してから、優しく言った。
「結衣が元気でいてくれたら、それで十分よ」
電話を切ったあと、結衣は毛布に包まりながら目を閉じた。
ほんのりとした洗剤の匂いの奥に、かすかに懐かしい香りがした気がした。
あのころ、母の手で干された日だまりの匂い。
時間がたっても、記憶の中でそれは消えずに残っている。
やがて春が来て、毛布をしまう季節になる。
結衣は丁寧にたたみ、透明な袋に入れて押し入れへしまう。
そのとき、思わず声に出して言った。
「また冬に会おうね」
毛布は静かにそこにある。
けれど結衣は知っている。
この毛布がある限り、どんな場所でも、自分はちゃんと帰る場所を持っているのだと。
それは母のぬくもりの記憶であり、今も自分を支えてくれる小さな魔法だった。

