熱気が肌にまとわりつく。
湿った空気の中、ユウは深呼吸をしてから一歩を踏み出した。
ジャングルの中は、まるで生き物の体内に入ったようだった。
木々が頭上を覆い、光は無数の葉を透かして緑の粒となって降り注ぐ。
遠くで鳥の鳴き声、虫のざわめき、そしてときおり、何か大きな動物の気配がする。
彼がこの密林に足を踏み入れたのは、大学の研究のためだった。
テーマは「熱帯雨林における植物の再生サイクル」。
しかし、ユウの心の奥にはそれ以上の理由があった。
亡くなった父が若い頃、このジャングルを調査していたという。
遺された日誌には、父の筆跡でこう書かれていた。
――“森は、眠っているようで、息をしている。”
その意味を知りたくて、ユウはここまで来たのだ。
道なき道を進みながら、ユウはふと立ち止まった。
目の前の木の根元に、淡い光を放つ小さな苔のようなものが群生している。
懐中電灯を消すと、それはほんのり青く光っていた。
息をのむほど美しい。
父の日誌にも、同じ記述があった。
――“夜になると光る胞子を持つ苔。森の記憶を宿しているようだ。”
ユウはサンプルを採取しながら、父もこの光を見たのかと思う。
だが、その先のページにはこうも書かれていた。
――“森の奥に、声がする。呼ばれている気がする。”
その言葉を読んだとき、ユウは不思議な胸騒ぎを覚えた。
そして今、同じ場所に立ち、同じ光を見つめている自分もまた、何かに呼ばれているような感覚に包まれていた。
夜が訪れた。テントの外では雨が降り始め、ジャングル全体がざわめくように息づいている。
雨音とともに、低い鼓動のような音が聞こえた。
地面の下から、森の奥から、何かが囁くように。
ユウは思わず立ち上がった。
懐中電灯を手に取り、音のする方へと進む。
足元には無数の根が絡み、湿った土が靴にまとわりつく。
やがて木々の間がひらけ、そこに巨大な木が立っていた。
幹の太さは十人がかりでも抱えきれないほどで、樹皮の隙間から青白い光が漏れている。
その光は、父の日誌に描かれていた「森の心臓」のスケッチにそっくりだった。
ユウはゆっくりと手を伸ばした。
指先が幹に触れた瞬間、視界が一変した。
緑の光の粒が舞い、森全体が息を吹き返すように輝き出す。
木々の間を駆ける動物たち、滴る水、育つ芽――それらが一瞬のうちに時を超えて見えた。
そして、その中心に父の姿があった。
「ユウ……森は、死なない。生きて、巡って、記憶している。」
声が聞こえた気がした。
ユウの目から自然に涙がこぼれる。
父はこの森に“還った”のだ。
光が消えると、ジャングルは再び静寂に包まれた。
だが、その静けさはもう恐ろしくなかった。
足元の苔が淡く光り、まるで「ようこそ」と囁いているようだった。
翌朝、ユウはノートにこう書き残した。
――“森は呼吸している。命は循環し、記憶は消えない。父は森と共にある。”
帰り道、ジャングルの奥から風が吹いた。
枝葉が揺れ、緑の匂いがユウの胸いっぱいに広がった。
彼は笑みを浮かべ、静かに森へ一礼した。
それはまるで、森と父に向けた感謝の祈りのようだった。