香りがつなぐもの

食べ物

真奈は、休日の昼下がり、台所でスパイス瓶を並べていた。
クミン、コリアンダー、ターメリック、ガラムマサラ。
どれも香りを嗅ぐだけで、心が遠い国へ旅立つような気がする。
今日は久しぶりにキーマカレーを作ろうと思っていた。

キーマカレーは、真奈にとって特別な料理だった。
大学生の頃、インドからの留学生、アニルと出会ったことがきっかけだ。
アニルは同じゼミで、背が高くいつも朗らかに笑っていた。
ある日、彼が寮のキッチンで作っていたのがキーマカレーだった。
香りに誘われて覗き込んだ真奈に、アニルはにっこり笑って「一緒に食べる?」と声をかけてくれた。

その時の衝撃を、真奈はいまでも忘れられない。
日本のカレーライスとはまるで違う、ひき肉と野菜がたっぷり入ったカレーは、スパイスの香りが幾重にも重なって奥深い。
ごはんに混ぜて食べれば、一口ごとに体の奥が温まるようだった。
「カレーって、こんなに自由なんだ」と思った。

それから二人はよく一緒に料理をするようになった。
アニルは、母国で母親から教わったレシピを少しずつ披露してくれた。
真奈はその横で、玉ねぎをじっくり炒めたり、塩加減を調整したりするコツを習った。
料理を通じて会話が弾み、言葉の壁も気づけばなくなっていた。

卒業してから、二人は自然と会うことが減った。
アニルは帰国し、真奈は地元で就職した。
もう五年以上も連絡を取っていない。
けれど、真奈は時折キーマカレーを作る。
そのたびに、あの頃の香りと笑い声が蘇るのだった。

フライパンに油をひき、玉ねぎを刻んで入れる。
じっくりと炒めて飴色になるまで待つ時間が、真奈は好きだ。
焦らず気長に、少しずつ色が変わっていく。
やがて香ばしい匂いが立ちのぼり、そこにひき肉を投入する。
ジュウ、と音が響き、スパイスを加えると一気に台所が異国の空気に包まれた。

トマトを潰して加え、水分を飛ばしながら煮込む。
にんじんやピーマンを細かく切って混ぜると、彩りが増して目にも楽しい。
真奈はふと、アニルが「色を見れば元気になる」と言っていたことを思い出した。
確かに、鮮やかな野菜の赤や緑が、食欲を呼び覚ます。

完成したカレーを皿に盛り、炊きたてのごはんと合わせる。
湯気の向こうに漂う香りは、懐かしさとともに未来への期待を運んでくるようだ。
スプーンで口に運ぶと、あの頃と同じ温かさが胸に広がる。

窓の外では、秋の風が木の葉を揺らしていた。
真奈はひとり、静かにカレーを味わいながら思う。
人との出会いはいつも突然で、そして別れもまた自然に訪れる。
それでも、共に過ごした時間や交わした言葉は、こうして料理や香りに刻まれて生き続ける。

真奈はふと、携帯電話を手に取った。
長い間開いていなかったSNSのメッセージ欄をスクロールし、アニルの名前を探す。
そこには昔の写真が残っていた。
寮のキッチンで笑顔を向ける彼と、自分の姿。

「元気ですか。今日はあなたに教わったキーマカレーを作りました」

真奈は短い一文を打ち込み、少し迷ったあと、送信ボタンを押した。
画面を閉じても、心の奥に温かい灯がともったままだった。

スパイスの香りは、過去と今をつなぐ橋のように漂い続ける。
真奈にとってキーマカレーは、ただの料理ではない。
友情と学び、そして新しい一歩を後押ししてくれる、大切な物語そのものなのだ。