小さいころ、麻衣は母の裁縫箱を覗くのが好きだった。
中には糸や針だけでなく、ガラスやプラスチックでできた色とりどりのビーズが詰まった小瓶がいくつも並んでいた。
ふたを開けると、ころころと転がる音がして、それだけで胸がわくわくした。
母はよく言っていた。
「ビーズって不思議よね。小さいのに、光を集めてこんなに輝くんだから」
麻衣はその言葉を胸に、夢中でビーズを並べ、糸に通し、簡単なブレスレットや指輪を作った。
上手にはできなかったけれど、光が集まる瞬間、自分まできらめいているような気がした。
大人になってからも、その趣味は細々と続いた。
仕事で疲れて帰った夜、机の引き出しからビーズの小箱を取り出すと、子どもの頃の安心感がよみがえる。
指先で一粒一粒つまむたび、心のざわめきが落ち着いていった。
ある日、同僚から「これ、かわいいね。どこで買ったの?」と声をかけられた。
麻衣が自分で作ったと知ると、驚きと共に注文のお願いまでされた。
最初は遠慮したが、渡したネックレスを大切そうに身に着けてくれる姿を見たとき、心の奥に温かいものが広がった。
そのうち、近所のカフェで小さなワークショップを開いてほしいと誘われた。
戸惑いながらも挑戦すると、集まった人々が一粒のビーズを手にしたときの目の輝きは、自分が初めて母の裁縫箱を開けたときの感覚に重なった。
「先生、できました!」と差し出される作品は不揃いで、不完全かもしれない。
けれどそこには、その人だけの物語や願いが詰まっていて、どれも宝石のように見えた。
やがて麻衣の部屋は、色とりどりのビーズであふれるようになった。
透明な瓶に入れて光の差す窓辺に並べると、昼下がりの太陽に照らされ、虹の粒が部屋の壁に映し出される。
部屋に一人でいても、その光に囲まれると、誰かとつながっているような気がした。
母が言っていた通り、ビーズは小さくても光を抱いている。
手のひらにすくえば、どんな暗い気持ちも少しだけ明るくできる。
そう信じられるからこそ、麻衣は今日も針と糸を手に取る。
ときには、何もかもうまくいかない日もある。
作りかけの作品が気に入らず、糸をほどきたくなることもある。
けれど、机の上に散らばる小さな粒を見つめていると、不思議と希望が生まれる。
どんなにバラバラでも、また糸を通せば新しい形になる。
それはまるで人生そのものだ。
「やり直せばいい」
ビーズが静かにそう囁いているように思える。
休日の夕方、麻衣は完成したブレスレットを小箱に並べ、ふっと息をついた。
外では夕陽が沈みかけ、窓辺の瓶が赤く染まる。
小箱を閉じるとき、あのころ母と過ごした部屋の匂いがふっと胸に広がった。
――ビーズを好きでよかった。
小さな光の粒が、彼女の心の道しるべになっていることを、麻衣は確かに感じていた。