潮騒の記憶

食べ物

春の浜辺に吹く風は、ほんのりと潮の匂いを運んでくる。
その匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、健太はしゃがみこんで砂を掘っていた。
熊手の先が「コツン」と何かに当たると、心が躍る。
すぐに指で砂をかき分けると、小さな殻が顔をのぞかせた。

「やっぱり、いた!」

波に濡れたあさりが、殻をきゅっと閉じて息をひそめている。
健太はそれを網の中にそっと入れ、また熊手を構えた。
潮干狩りは幼い頃からの楽しみであり、彼にとっては春の恒例行事だった。

あさりを好きになったきっかけは、幼少期の食卓にある。
父が釣り好きで、母が料理上手だった。
週末になると海へ出かけ、帰ってきては魚や貝をさばいてくれた。
特に思い出深いのは、母の作るあさりの味噌汁だった。

砂抜きをしたあさりを鍋に入れ、火をかけると、やがて「ぱかっ」と殻が開く。
その瞬間、台所いっぱいに広がる潮の香り。
子どもながらに「海をそのまま食べている」ような感覚が、胸を震わせたのだ。
あさりの身を口に運べば、じゅわりと旨味が広がり、体の奥まで温まる。
健太にとって、あさりは「家族の味」であり「幸せの象徴」だった。

しかし、母が病に倒れたとき、その味は一度、彼の生活から消えた。
料理をする余裕もなく、父も仕事に追われ、食卓には出来合いの惣菜が並ぶようになった。
あの香りが台所から消えた寂しさを、健太は長い間抱えていた。

大学進学を機に家を出てからも、時折スーパーであさりを手に取った。
けれども、どうしても母の味にはならなかった。
分量や火加減を何度試しても、あの優しい温もりが足りない気がする。
――自分にとって、あさりは単なる食材ではなく、母そのものだったからだ。

そんなある年の春、健太はふと思い立って、久々に実家へ帰った。
母は病を克服し、以前よりもゆったりとした暮らしをしていた。

「潮干狩りなんて、もう十年以上行ってないわね」
母が笑顔で言った。

次の日、ふたりは熊手とバケツを手に浜へ出かけた。
潮の引いた砂浜に腰を下ろし、昔のようにあさりを探す。
母は膝をつき、砂を指でなぞりながら、ふと立ち止まった。

「覚えてる? あんたが小さい頃、あさりを見つけるたびに飛び跳ねてたこと」
「うん。あのときから、俺、あさりが大好きだった」

母の声を聞きながら、健太は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
網の中で重なり合うあさりの殻が、まるで時を超えて積み重なった思い出のように見えた。

家に帰ると、母はさっそく台所に立った。
健太は隣で鍋を見守る。
水にあさりを入れ、火にかける。
やがて湯気が立ち、殻が一つ、また一つと開いていく。
台所いっぱいに広がる潮の香り――その瞬間、時が巻き戻るように感じられた。

「やっぱり、この匂いだ」

母は味噌を溶かし入れ、慎重に味を整える。
椀によそわれた味噌汁をひと口すすると、健太の目頭が熱くなった。
あの頃と同じ、いや、それ以上に深みのある味がした。

「母さん、ありがとう」
「何を言ってるの。海とあさりがくれる味よ。私たちは、それをちょっと手助けしてるだけ」

母は笑ってそう言った。
健太はその言葉を胸に刻んだ。

それからというもの、彼は折に触れて自分でもあさり料理を作るようになった。
味噌汁だけでなく、酒蒸しやパスタ、炊き込みご飯……。
どれも一口ごとに海の香りと家族の思い出を連れてくる。

健太にとって、あさりはただの食べ物ではない。
それは潮騒の記憶であり、母のぬくもりであり、自分の原点を思い出させてくれる小さな貝殻なのだった。