小さな実の大きな力

食べ物

陽介は、幼いころからナッツの中でも特にピスタチオが好きだった。
小さな殻を指先で割り、中から顔を覗かせる緑の実をつまみ出す瞬間に、なぜか胸が弾んだ。
口に入れれば、香ばしくも優しい甘みが広がり、日常のどんな嫌なことも一瞬忘れられる気がした。

彼の母はケーキ屋を営んでいて、忙しい日々のなかでも、時折ピスタチオのケーキを焼いてくれた。
スポンジの間に挟まれたクリームがほんのりと緑色に染まり、その風味を味わうたびに、陽介は「母はきっと僕のことをちゃんと見ていてくれる」と思えた。
そんな小さな確信が、彼の成長を支えていた。

高校に進学すると、陽介は友人たちと放課後のコンビニに立ち寄るようになった。
アイスやポテトチップスを買う仲間を横目に、彼が選ぶのはいつもピスタチオ味のアイスだった。
友人から「地味だな」と笑われても、彼は気にしなかった。
口にしたときのほっとする感覚が、母の店と、家族の記憶をつなぎとめてくれるからだ。

やがて大学に進み、洋菓子研究会に入った陽介は、自らもピスタチオを使った菓子作りにのめり込んでいった。
渋みと甘みのバランスを取るのは難しかったが、クリームやチョコレートとの組み合わせを探る過程は、まるで誰かとの会話を楽しむようだった。
ピスタチオは一見地味だが、相手次第で驚くほど表情を変える。
人間関係と同じだ、と彼は思った。

卒業後、母の店を手伝うことになった。
小さな町の洋菓子屋は、時代の流れに押されて苦戦していたが、母の誠実な味を慕って訪れる常連はまだいた。
陽介は店を立て直すため、看板商品を作ろうと決意した。
そして迷わず、ピスタチオを主役に選んだ。

試作の日々が続いた。
タルト、プリン、マカロン。
だが、どれも決定打に欠けた。
ある夜、母がふと「子どもの頃、よく一緒に食べたケーキを覚えてる?」と問いかけた。
鮮やかに思い出されたのは、あのピスタチオのケーキだった。
甘すぎず、素朴で、けれど温かい味。陽介は胸を打たれた。

翌朝、彼は母のレシピを引き継ぎながらも、自分なりの工夫を加えたケーキを焼いた。
生地にピスタチオペーストを練り込み、クリームにはほのかな塩気を忍ばせた。
試食した母は静かに微笑み、「あの頃の味より、もっと深いね」と言った。
その言葉に、陽介は心の中で父に語りかけた。
幼いころに亡くなった父も、きっとこの味を喜んでくれるだろうと。

新たな看板商品「ピスタチオの記憶」は、評判を呼んだ。
緑色のケーキは、見た目こそ派手ではないが、一口食べた人の心をじんわり温める力を持っていた。
口コミで広がり、遠方から訪れる客も現れた。

ある日、店先で一人の青年がケーキを頬張りながら泣いていた。
「小さい頃、母がよく作ってくれた味に似ています」と彼は言った。
その言葉を聞いた瞬間、陽介は気づいた。
自分の好きなピスタチオは、ただの嗜好ではなく、人と人との記憶や絆を結び直す架け橋になっているのだと。

陽介は、今日もピスタチオを割る。
殻の中に隠された小さな緑を取り出すように、ひとりひとりの中に眠る思い出を呼び起こすために。
そして、店を訪れるすべての人の心に、温かな記憶の種を残すために。