空を渡る約束

面白い

小さな地方空港の片隅に、今はもう飛ばなくなった古い飛行機が展示されていた。
銀色の機体はところどころ塗装が剥げ、翼には鳥の羽根が張り付いている。
だが、その姿には不思議な温かさが宿っていた。

春斗はその飛行機を見るのが好きだった。
祖父に連れられて初めて訪れたのは幼稚園のころ。
大きな翼の下に立ち、空に浮かぶ姿を想像したときの胸の高鳴りを、彼は今も忘れられない。

祖父は整備士だった。
何十年もこの機体を手入れし、空へ送り出してきた。
「機械は人と同じだ。ちゃんと声を聞いてやれば、長生きする」そう語る祖父の眼差しは、飛行機に対する誇りと愛情に満ちていた。

高校生になった春斗は、進路に迷っていた。
友人は都会へ行きたいと口にし、親は地元に残って働けと言う。
その狭間で揺れる彼に、祖父はただ笑って「おまえが本当に飛びたい空を探せばいい」と言った。
その言葉の意味は、まだよく分からなかった。

ある日、空港の整備庫に祖父と一緒に足を踏み入れた。
そこには展示のために解体された飛行機の部品が並んでいた。
無数のリベット、計器盤、磨き込まれたプロペラ。
祖父は一つひとつを撫でるように見せながら、「この飛行機はな、最後のフライトで嵐をくぐり抜けて、乗客を無事に届けたんだ。だから、ただの鉄の塊じゃない。たくさんの人の想いを背負った仲間なんだよ」と話した。

その瞬間、春斗の胸に稲妻のように響いた。
飛行機は空を飛ぶだけの道具ではない。
人の夢や不安、祈りを抱えて空を渡る存在なのだと。

祖父が亡くなったのは、それから一年も経たない頃だった。
空港の整備士仲間や町の人々が集まり、彼の人柄を偲んだ。
春斗は祖父の作業服のポケットに、何度も折り畳まれた整備記録帳を見つけた。
そこにはびっしりと小さな字で、飛行機の声が記録されていた。
「エンジンの響きが今日は軽い」「翼の付け根に少し疲れが見える」。
まるで友人の日記のように。

その夜、春斗は決意した。
自分も空に関わる仕事がしたい、と。

数年後、彼は航空工学を学ぶため都会の大学に進み、やがて航空会社の整備士になった。
毎日忙しく、油と汗にまみれながら機体を点検する日々。
それでも、祖父の言葉が支えになった。
「声を聞いてやれば、長生きする」。
耳を澄ませば、確かに飛行機は何かを語りかけてくる気がした。

ある日、整備を担当した機体が初めてのフライトを終え、夕暮れの滑走路に戻ってきた。
窓から子どもが顔を出し、嬉しそうに手を振っている。
その姿に春斗は胸が熱くなった。
自分が守った機体が、誰かの旅を叶え、笑顔を運んだのだ。

休暇で地元に帰ったとき、例の展示機を訪れた。
夕焼けに染まる翼は、今も堂々と空を見上げている。
春斗はポケットから祖父の整備記録帳を取り出し、翼の下でそっと開いた。
ページの隙間から、祖父の声が聞こえてくるようだった。

「おまえが本当に飛びたい空を探せばいい」

春斗は空を見上げ、微笑んだ。
祖父の言葉の意味を、ようやく理解できた気がした。
空はただ遠くにあるのではなく、自分の手でつなぎ、守り、渡していくもの。
その空の下で、彼はこれからも飛行機と共に生きていくのだ。

飛行機は今日も、誰かの約束を乗せて空を渡っている。