梅昆布茶は心を結ぶ

面白い

春の風がまだ肌寒さを含んでいたある日、商店街の片隅に小さな茶舗「一服庵」があった。
棚には緑茶やほうじ茶の缶が並び、奥には古びた急須や茶器が整然と置かれている。
その店に一つ、控えめに目立たぬよう置かれていたのが「梅昆布茶」であった。

梅昆布茶は、若い客からはあまり手に取られることがなかった。
派手さもなく、鮮やかな香りもしない。
だが、店主の佐和子にとって、それは特別な品だった。

彼女がまだ少女だった頃、祖母が寒い夜に必ず入れてくれたのが梅昆布茶だった。
湯気の立ちのぼる湯呑みに、塩気と酸味の混じった香りが広がると、不思議と心が落ち着いた。
祖母はよく、「人の心は海と山に養われるんだよ」と言った。
梅は山の恵み、昆布は海の恵み。
その二つが合わさることで、体だけでなく心も温まるのだと。

時は流れ、祖母は亡くなり、茶舗を継いだ佐和子の手元には梅昆布茶が残った。
だが、若者の間ではコーヒーや甘いラテが人気で、梅昆布茶を求める声は年々減っていった。
それでも彼女は棚の隅に必ずその缶を置き続けた。

ある冬の夕暮れ、店の戸口に中学生くらいの少女が立っていた。
手には破れかけたノートを抱えている。
少し迷った様子で入ってきた彼女は、「すみません、温かい飲み物ってありますか」と尋ねた。

佐和子は笑って、「お茶なら色々あるけれど、少し珍しいものを淹れてみようか」と言い、梅昆布茶を急須に注いだ。
熱い湯を注ぐと、柔らかな梅の香りと昆布の旨みが立ち上る。
少女は一口飲んで目を丸くした。

「……なんか、落ち着きます」

その言葉に佐和子は胸が熱くなった。
少女は試験勉強で心が張り詰め、帰る途中にふらりと寄ったのだという。
温かさと素朴な味わいが、彼女の心をほぐしたのだろう。

それからその少女は時折、店に立ち寄るようになった。
試験前、部活帰り、悩みごとのあるとき。
彼女は必ず「この前の、梅昆布茶ください」と頼んだ。

佐和子は思う。――きっと祖母も、こうして誰かの心を和ませていたのだろう、と。
梅昆布茶は華やかさこそないが、人の心にそっと寄り添い、支えとなる力を持っている。

やがて少女は高校に進み、進学の報告に店を訪れた。
佐和子は祝いとして、梅昆布茶の缶をひとつ手渡した。
「これを飲めば、どんな場所でも落ち着けるはずよ」

少女は深く頭を下げて受け取った。
その笑顔は、かつて佐和子が祖母から受け取った安心そのものだった。

店の片隅に置かれた小さな缶――梅昆布茶。
派手ではないが、確かに誰かの心を温め続けている。
海と山の恵みが一杯の湯に溶け込み、世代を越えて優しさをつないでいく。

その夜、佐和子は棚を見上げ、そっと微笑んだ。
祖母の声が聞こえた気がした。
――「ね、やっぱり心は海と山に養われるものだろう?」

梅昆布茶は静かに湯気を立て、これからも人々を迎え続ける。