風を越えて

面白い

中学二年の春、陸上部の練習場に並ぶ白いハードルを前に、遥(はるか)は足を止めていた。
背丈ほどもあるそれらは、彼女にとって巨大な壁のように見えた。
「走るのは好きだけど……これを飛び越えるなんて」
短距離が得意で入部したはずなのに、顧問に勧められたのはハードル走だった。
スピードに加えてリズム感もあるから向いている、と言われても、遥は半信半疑だった。

最初の練習で、彼女は二度もハードルにつまづき、派手に転んだ。
両膝に擦り傷ができ、笑う仲間の視線が刺さった。
悔しさと恥ずかしさで胸がいっぱいになり、思わず部室に駆け戻って泣いた。
それでも辞めなかったのは、顧問の一言のせいだ。
「転ぶのは挑戦してる証拠だ。怖がらずに続けてみなさい」

それから数週間、遥は放課後になると誰よりも遅くまで練習した。
走るリズムを声に出し、ステップを刻み、何度も何度も跳んだ。
転んで擦り傷が増えるたびに、母は消毒液を手に「本当にやめないの?」と心配した。
だが遥は「次は飛べる気がする」と笑って答えた。

やがて、初めて全てのハードルを倒さず走り切れた日が訪れた。
風を切りながら越える瞬間、体が羽のように軽く感じられた。
着地の衝撃さえもリズムの一部になり、彼女は走りながら笑っていた。
「できた!」
その叫びは誰に聞かせるでもなく、トラックに響いた。

夏の大会。
緊張で指先が冷たくなりながらも、スタートラインに立つ。
周囲の選手たちはみな経験豊富に見えた。
スタンドには両親やクラスメイトの姿もある。
心臓が速く打ち、喉が渇く。
だが、スターターの合図が響いた瞬間、体は自然と前に飛び出していた。

最初のハードル。
練習通りに一歩、二歩、三歩──跳ぶ。
空気を裂くように体が浮き、着地。
リズムを保ちながら次へ、次へ。
途中で少しバランスを崩したが、倒れることはなかった。
最後のハードルを越えた瞬間、目の前にはゴールが迫っていた。
結果は三位。
表彰台に立った遥の足は震えていた。
悔しさもあったが、それ以上に「やっとここまで来られた」という喜びでいっぱいだった。

帰り道、顧問が笑って言った。
「まだまだ伸びる。次は一番を狙え」
遥は頷いた。
転んでも、傷だらけになっても、自分はまた走るだろう。
ハードルは壁ではなく、風をつかむための扉だと知ったから。

秋の風が頬を撫でる。
新しい挑戦が、また始まろうとしていた。