子どものころから、空を見上げるのが好きだった。
遊び仲間が鬼ごっこに夢中になっているときも、僕は校庭の端に寝転び、流れる雲をじっと見ていた。
羊の群れのように連なる雲、巨大な山のように立ち上がる雲、そして夕暮れに染まって燃えるような雲。
形も色も刻一刻と変わっていくその姿は、まるで空が描く物語のようで、飽きることがなかった。
大人になった今でも、その癖は変わらない。
仕事帰り、駅から自宅へ歩く道すがら、ふと足を止めて空を見上げる。
スーツ姿の僕を横目に、忙しそうに歩き過ぎる人たち。
そんな流れに逆らうように立ち止まると、時間から切り離されたような静けさが訪れる。
ある日、会社で大きな失敗をした。
取引先への提出書類を一部間違えてしまい、担当者に厳しく叱責された。
自分の不注意に落ち込み、肩をすぼめながら帰路についた。
胸の奥が重く、息苦しい。
ふと顔を上げると、夕暮れの空にひときわ大きな雲が浮かんでいた。
それはまるで両手を広げる人の姿に見えた。
「大丈夫だよ」
そんな声が聞こえたような気がして、僕は立ち止まった。
見上げるうちに、涙がにじんで視界がぼやけた。
誰かに励まされたわけでもない。
ただ空に浮かぶ雲に、勝手に慰めを感じただけ。
でも不思議と、胸の重さが少し和らいだ。
それ以来、僕は「雲の言葉」を信じるようになった。
白い筋雲は「希望」。
厚い積乱雲は「試練」。
黄金色に染まる雲は「感謝」。
自分勝手な解釈だが、雲を通して空がメッセージを送ってくれているように思えるのだ。
休日になると、僕は郊外の丘に出かける。
高い建物に邪魔されず、広々と空を仰げるお気に入りの場所。
レジャーシートに寝転び、流れる雲を見ながらスケッチブックを開く。
子どものころから絵を描くのも好きだったが、今はただ、雲の形を追いかけて描き残すことが喜びになっていた。
そんなある日、丘に先客がいた。
長い髪を風に揺らし、同じように空を見上げてスケッチしている女性だった。
驚いて声をかけると、彼女もまた雲を観察するのが趣味だという。
僕らはすぐに打ち解け、雲について語り合った。
あの雲は魚に見える、いや龍に見える。
そんなやりとりが楽しくて、時間を忘れた。
彼女の名前は紗希さん。
美術館で働く学芸員で、絵を描くのも得意だった。
僕が拙い線で雲を描く横で、彼女は柔らかな色彩を用い、まるで雲そのものがキャンバスから浮かび上がるような絵を描いていた。
「雲は、誰にもつかまえられない。だからこそ描くとき、自由でいられるの」
そう笑う彼女の横顔を、僕はいつの間にか夢中で見ていた。
それから、僕らはたびたび丘で会うようになった。
空を見上げ、雲を語り合い、スケッチを重ねる日々。
やがて彼女は言った。
「私ね、雲をテーマにした小さな展示会を開きたいの。よかったら、一緒にやらない?」
胸が高鳴った。
誰かと雲の魅力を分かち合うこと、それを形にできるなんて夢のようだった。
準備は簡単ではなかった。
会場の手配、展示の構成、作品の仕上げ。
仕事を終えてから夜遅くまで作業し、疲れ果てることも多かった。
それでも、空を見上げるたびに「頑張れ」と背中を押してくれる雲があった。
紗希さんと過ごす時間が、雲のように柔らかく僕を支えていた。
やがて迎えた展示会当日。
会場の壁には、僕と彼女の描いた雲が並んでいた。
来場者はみな足を止め、絵を見上げ、思い思いに「この雲は犬に見える」「夕焼けの匂いがする」と語っていた。
僕らが感じてきた空の物語が、他の誰かの心にも響いている。
そのことが、何より嬉しかった。
展示会の終わりに、僕は紗希さんに言った。
「雲を追いかけてきて、本当に良かった。だって、君に出会えたから」
彼女は驚いたように目を見開き、それから小さく笑って頷いた。
窓の外には夕暮れの空。
ふたりの頭上に広がるのは、赤く染まった大きな雲。
まるで祝福するかのように、空全体が輝いていた。
今でも僕は、雲を見上げるたびに思う。
雲はただの水蒸気の集まりかもしれない。
けれど、それをどう感じるかは人の自由だ。
慰めに見えたり、勇気に見えたり、愛に見えたりする。
そのすべてが、空からの手紙なのだ。
そして僕はこれからも、雲を追いかけ続ける。
大切な人とともに。
空に綴られた物語を読み解きながら、明日へ歩いていくのだ。