最後のコード

面白い

古びた木造の家の奥に、一本のギターが眠っている。
ネックは少し反っていて、弦も錆びつき、音はかすかに歪んでいる。
それでもそのギターは、誰かが奏でてくれるのを静かに待っていた。

持ち主だったのは、今は亡き祖父・昭三(しょうぞう)。
若い頃はブルースを好んで弾き、町の酒場で夜な夜なステージに立っていたという。
戦後の混乱期、音楽は贅沢とされたが、それでも祖父は「このギターがある限り、俺は生きていける」と笑っていたそうだ。

孫の隼人(はやと)は、そんな祖父の姿を幼い頃から見て育った。
小学生の頃、祖父に初めて「コードっていうのは、心の色を表すものなんだ」と教わった。
Gは希望、Amは孤独、Cは優しさ。
そう言われても当時はよくわからなかったが、音に色があるという感覚だけは、強く印象に残っていた。

やがて祖父が亡くなり、ギターは納屋にしまわれたまま、十年の月日が流れた。
隼人は今、都会で音楽とは無縁の生活を送っている。
日々の業務に追われ、自分が何をしたくてこの道に来たのかも忘れてしまった。

ある年末、久しぶりに実家に帰省した隼人は、ふと思い立って納屋を覗いた。
埃まみれのケースを開けると、祖父のギターがそこにいた。
触れると、懐かしい木の匂いが立ちのぼる。
ネックは冷たく、弦はざらついていたが、不思議と指が動く。

ぽろん——。

たった一音で、隼人の胸が熱くなった。
指は自然に動き、C→Am→F→Gと、昔祖父と一緒に弾いたコード進行を奏でた。
音は濁っていたが、そこに確かに「心の色」があった。
十年前には理解できなかった、あの色たちだ。

その夜、隼人はギターを抱えて帰京した。
弾き語りの動画を投稿するようになり、祖父の曲をカバーすると、なぜか多くの人々が共感を寄せてくれた。

「この音、懐かしい」「涙が出ました」

誰かの心に届く音を、祖父はきっと信じていた。
ギター一本で、それができることを知っていた。

そして今、隼人もまた信じている。
古いギターの最後のコードは、まだ終わっていない。
むしろ、ようやく始まったのだ。