星を飲む町

不思議

その町には、不思議な習慣があった。
年に一度、夜空から星が降りてくるのだ。
大きな隕石ではない。
手のひらほどの光の粒が、ふわふわと舞い降り、路地や屋根の上に静かに積もる。
町の人々はそれを「星のしずく」と呼び、集めては小さな瓶に閉じ込め、ひと口ずつ飲むのだった。
飲んだ者は一年間、夢を忘れずに過ごせると言われていた。

私はその町を、偶然旅の途中で訪れた。
商店街の軒先には、空き瓶がずらりと並び、人々はまだ見ぬ星を待ちわびている。
「よそ者かい?」
古びた帽子をかぶった老婆が声をかけてきた。
「星のしずくを飲むのは初めてだろう」
私は頷いた。
老婆はにやりと笑い、小さな瓶をひとつ差し出した。
「今夜は特別に澄んでいる。きっと、いい夢が宿るよ」

夜が訪れると、本当に星が降ってきた。
街灯の明かりよりも柔らかく、蛍の群れのように無数の光が揺れながら落ちてくる。
人々は歓声を上げ、両手で星を受け止めて瓶に移していく。
私も真似をしてひとつ捕まえると、驚くほど冷たかった。
瓶の中で淡い光が揺れているのを、息を呑んで見つめた。

やがて、広場ではみんなが一斉に瓶を傾ける。
私も同じように口に含むと、ほんのり甘く、花の蜜のような味がした。
喉を通り抜けた瞬間、遠い記憶が蘇る。
幼い頃に描いた絵、失くしたと思っていた手紙、誰かに言えなかった約束――すべてが鮮やかに胸に浮かび上がる。
私は涙ぐんでいた。

「夢を忘れないためさ」
隣に座っていた老婆がつぶやいた。
「忘れた夢は星に戻り、また降ってくる。そうして町は続いていくのさ」

その夜、私は不思議な夢を見た。
果てしない海の上を、無数の光が舟のように漂っている夢だ。
その舟のひとつに幼い私が座っていて、遠くからこちらに手を振っていた。
目が覚めたとき、胸の奥に小さな火が灯ったように感じた。

翌朝、町を発つ準備をしていると、老婆がもう一つ瓶を手渡してきた。
中には昨夜捕まえた光がまだ残っている。
「旅先で迷ったら、これを飲むといい。道を思い出せる」
私は礼を言い、瓶を大事に荷物へしまった。

それから何年も経つが、不思議なことに、あの町の地図をどれほど探しても見つからない。
旅の記録をたどっても、どうしても行き着けないのだ。
ただ、夜空を見上げるたび、ひときわ瞬く星があると、胸の奥の火が少し強くなる。
あの瓶はまだ手元にあり、光はかすかに瞬き続けている。

――きっと、夢が完全に消えるその時まで。