ジャーマンポテトの記憶

食べ物

洋介は、子どもの頃からジャーマンポテトが大好きだった。
母が作るジャーマンポテトは、薄切りのじゃがいもをこんがり炒め、ベーコンと玉ねぎを合わせただけの素朴なものだったが、香ばしさと塩気が絶妙で、食卓に並ぶと真っ先に箸を伸ばした。
誕生日に「何が食べたい?」と聞かれれば必ず「ジャーマンポテト!」と答え、母は笑いながらフライパンを振ってくれた。

大学進学を機に上京してからも、洋介の生活にはジャーマンポテトが寄り添った。
慣れない一人暮らしの台所で、じゃがいもとベーコンと玉ねぎを買ってきては、母の真似をして炒める。
味はどこか違ったが、フライパンから立ちのぼる匂いに、遠く離れた実家を思い出した。
深夜、課題に追われて疲れ果てた時も、炊飯器の代わりにジャーマンポテトを作れば心が落ち着いた。

社会人になってからも、その習慣は続いた。
営業職として忙しく働く日々の中、帰宅が遅くなり、外食やコンビニ弁当で済ませることが多かったが、休日だけはスーパーで材料を揃えて台所に立った。
フライパンに油をひき、じゃがいもをじっくり炒める音を聞いていると、不思議と頭の中が整理される。
塩胡椒を振りかけ、最後にパセリを散らすと、心の奥に小さな充実感が広がった。

ある日、会社の同僚から「洋介さんって料理できるんですか?」と聞かれ、何気なく「ジャーマンポテトなら得意だよ」と答えた。
その一言がきっかけで、同僚たちとのホームパーティーに自慢のジャーマンポテトを持ち寄ることになった。
大皿に山盛りにして出すと、同僚たちは一口食べて「これ、めっちゃうまい!」と歓声をあげた。
自分の好きな料理を人が喜んで食べてくれる、そのことが洋介にとって何よりのご褒美だった。

それからも、人とのつながりにジャーマンポテトは欠かせない存在になっていった。
飲み会のあと、友人を自宅に誘って「ちょっと待ってろ」と作り出す。
恋人ができたときは、初めての手料理としてジャーマンポテトをふるまった。
シンプルなのに深い味わいは、いつも場を和ませてくれる。

数年後、洋介は結婚し、家庭を持った。
妻の美香も料理が得意だったが、洋介が台所に立つときは決まってジャーマンポテトの番だった。
小さな娘が生まれ、離乳食を卒業すると、塩気を控えたジャーマンポテトを小皿に分けて出した。
娘は母の作るオムライスも好きだったが、父の作るジャーマンポテトも「ぱぱのおいも!」と呼んで嬉しそうに食べた。

気がつけば、ジャーマンポテトは洋介にとって「自分の歴史を映す料理」になっていた。
母の思い出から始まり、一人暮らしの孤独を支え、仲間や恋人との時間を彩り、そして今は家族の食卓を温める。
特別な料理ではない。
ただのじゃがいもとベーコンと玉ねぎ。
しかし、そこに込められた記憶と感情は、どんなご馳走にも負けない宝物だった。

休日の昼下がり、窓から差し込む光の中、洋介は今日もフライパンを振る。
カリッと焼き上がるじゃがいもの香ばしい匂いに、娘が台所まで駆けてくる。
「ぱぱ、もうできた?」と無邪気に聞く声に、洋介は笑みを浮かべて答える。

「もうすぐだよ。今日のジャーマンポテトは、特別おいしくできそうだ」

その言葉通り、皿に盛られた黄金色のジャーマンポテトは、家族の笑顔をよりいっそう輝かせていた。