南国の湿地帯に、一匹の大きなワニがいた。
名をガルドという。
彼は若いころから力強く、鋭い牙で魚も鳥も仕留め、沼の王者と呼ばれていた。
しかし年月が過ぎ、背の甲羅には苔が生え、動きもゆったりとなった。
かつて群れを震え上がらせた咆哮も、今は低く濁った響きになっている。
若いワニたちはガルドを敬いながらも、内心では「老いた番人」と囁いた。
彼らは速く、獲物を追う力もある。
だが、ガルドは焦りを見せなかった。
むしろ、静かに沼を眺めて過ごす時間を楽しんでいた。
ある日、乾季が訪れた。
水が少なくなり、魚も逃げ場を失った。
沼は命をつなぐ戦場となり、獲物を奪い合うワニ同士の争いが増えた。
若いワニたちは力で押し通そうとするが、獲物は次第に減っていく。
苛立ち、互いに噛みつき合う声が響いた。
そんな中、一羽の傷ついた白鷺がガルドのそばに降り立った。
片方の翼が折れ、もう飛べないようだった。
ガルドが近づけば一口で飲み込める距離。
しかし彼は牙を見せず、ただ静かに水面をたたいた。
すると魚が跳ね、白鷺の前に落ちた。
白鷺は驚きながらも必死にそれをついばんだ。
やがて彼はガルドに頭を下げるように首を垂れた。
この噂はすぐ若いワニたちに広まった。
「なぜ獲物を逃した?」
「王者の威厳を失ったのか?」
問い詰められても、ガルドは答えなかった。
ただ沼を見守るように目を閉じていた。
だが夜、嵐が訪れた。
乾いた空に稲妻が走り、豪雨が沼を呑み込む。
土砂崩れで川が塞がれ、急激に水があふれだした。
若いワニたちは濁流に巻き込まれ、慌てふためく。
魚も鳥も流され、命が危うい状況だった。
そのとき、ガルドは長い体を水路のように横たえ、仲間たちが流されぬよう堤防となった。
彼の背を踏み、若いワニや小さな生き物たちが次々と安全な岸へ渡った。
水の勢いはすさまじく、古い体は傷だらけになった。
けれどガルドは動じなかった。
ただ、沼の命を守るように牙を食いしばった。
嵐が過ぎ、朝日が昇るころ、沼は新しい流れを得て静けさを取り戻した。
若いワニたちは息をつき、背中で大地となったガルドを見上げた。
彼は疲れ切った目を閉じ、深い眠りについた。
そのまま目を開くことはなかった。
白鷺はその傍らに立ち、静かに羽を震わせた。
彼を守った巨体は、もう動かない。
だがその姿は、まるで沼の一部となり、新しい水の流れを導く守り神のようだった。
若いワニたちは初めて理解した。
王者とは獲物を奪う者ではなく、命を支える者なのだと。
それ以来、沼の住人たちは嵐の季節になるとガルドの眠る場所に集まり、静かに頭を垂れるようになった。
苔むした大岩のようなその姿は、今も「沼の番人」として語り継がれている。