夏の午後、風鈴の音が涼しげに鳴る六畳間で、佐和子は黙々と刺繍に取り組んでいた。
細い針先が布に吸い込まれては戻り、赤や青、緑の糸が小さな模様を形作っていく。
窓の外では蝉が鳴きしきっていたが、彼女の世界は目の前の布だけに閉じられていた。
佐和子が刺繍を始めたのは、十歳のときだった。
祖母が持っていた古い裁縫箱から、色とりどりの刺繍糸を見つけたのがきっかけだ。
祖母は「これはお守りのようなものよ。ひと針ごとに願いを込めるの」と言って、小さな花の縫い方を教えてくれた。
最初は不格好で笑われたが、その時間が楽しくてたまらなかった。
中学生、高校生と成長するにつれて、刺繍は彼女にとって“日記”のような存在になった。
友人と喧嘩した日は黒と灰色でぎこちない線を。
好きな人と目が合った日はピンクや黄色の花を。
感情を言葉にするのが苦手だった彼女にとって、刺繍は心の声を映す鏡のようだった。
しかし大学に進学し、就職すると、刺繍からは自然と遠ざかってしまった。
忙しい日々のなかで針を持つ余裕などなかったのだ。
社会の中で評価されるのは成果や数字であり、ひと針ごとの積み重ねではない。
彼女もまた例外ではなく、仕事に追われる毎日を送っていた。
そんな彼女が再び刺繍に向き合ったのは、祖母の葬儀のあとだった。
遺品整理のなかで、あの裁縫箱が出てきたのだ。
埃をかぶった箱を開けると、色褪せた糸巻きと共に、祖母が縫いかけた布が入っていた。
途中まで刺された野の花が、未完成のまま残されていた。
――続きを縫わなければ。
その瞬間、胸の奥で何かがはっきりと形を持った。
以来、佐和子は毎晩のように針を手に取った。
仕事から帰って疲れた体を椅子に沈め、ランプの下で小さな花や鳥を縫う時間は、心を落ち着けてくれた。
気がつけば祖母の刺しかけは完成し、さらに自分なりの模様を加えるようになった。
ある日、同僚に誘われて参加した小さなハンドメイド市で、彼女は自分の刺繍作品を出品してみた。
手作りのポーチやハンカチに縫い込まれた花模様は、予想以上に多くの人に手に取られた。
年配の女性が「懐かしいわ」と微笑んだり、小さな女の子が「かわいい」と目を輝かせたり。
その光景に胸が熱くなった。
針先に込めた思いが、他人の心に触れる瞬間を初めて知ったのだ。
それから少しずつ、彼女は刺繍を生活の中心に戻していった。
週末には刺繍教室に通い、技法を学び直した。
自宅の一角を作業スペースに改装し、SNSに作品を載せると、思いがけず多くの反応があった。
遠く離れた誰かが、自分の縫った模様を見て笑顔になってくれる。
数字に追われる仕事では得られなかった充実感がそこにあった。
やがて彼女は思い切って会社を辞め、小さな刺繍工房を始めた。
大きな看板も出さず、古い町家の一室を借りただけの慎ましい店だったが、口コミや展示会を通じて少しずつ客が増えていった。
注文を受けた赤ん坊の名前入りスタイや、結婚祝いのクロス。
ひと針ごとに願いを込めて縫うとき、祖母の言葉がいつも心に浮かぶ。
「針先に宿る想いは、必ず誰かに届くものよ」
今、佐和子の手の中には、鮮やかな青い糸で描かれた小鳥が羽ばたこうとしている。
窓から射し込む夕陽がその糸を輝かせ、まるで生命を宿したように見えた。
彼女は針を止め、小さく微笑んだ。
刺繍はただの趣味ではない。
自分を支える柱であり、誰かの心を温める灯火でもある。
そして、ひと針、またひと針。
今日も彼女は静かに想いを布に刻んでいく。