薪割りに魅せられて

面白い

山あいの小さな集落に、健一という男が住んでいた。
年齢は五十を越え、町の会社勤めを早期退職したのち、妻と共に古い実家に戻って暮らしていた。
都会で過ごした日々は便利で刺激的だったが、どこか息苦しさを抱えていた健一にとって、山の空気は胸の奥まで澄み渡らせてくれるようだった。

そんな彼が日々の楽しみにしていることがある。
それは薪割りだった。

最初は冬支度のため、やむなく始めた作業にすぎなかった。
実家の裏山には栗や桜の木が多く、落ちてくる枯れ枝や、台風で折れた幹がそこかしこに転がっている。
それを整理し、薪にしておけばストーブの燃料にもなるし、何より片付いて気持ちが良い。
そんな軽い気持ちで斧を振るい始めたのがきっかけだった。

だが、不思議なことに、健一はその単調に見える作業にどんどん魅了されていった。
斧を振り下ろすと、硬い木が「パカン」と音を立てて割れる。手に伝わる衝撃と同時に、胸の奥まで抜けるような爽快感が広がる。割れ目から立ちのぼる木の香りは甘く、まるで自然と会話しているようだった。

都会では数字や書類に追われ、成果が目に見えにくい仕事ばかりだった。
だが薪割りは違う。
一本の丸太がきれいに割れて積み上がっていく。
その結果は目に見えて、形となって残る。
疲労と引き換えに得られる充実感は、都会暮らしでは味わえなかったものだった。

やがて健一は、薪割りのために斧を研ぐことに夢中になり、木の種類によって割れやすさが違うことを学び、斧の角度や振り下ろす場所で割れ方が変わるのを楽しむようになった。
力任せでは割れない木でも、ほんのわずかな隙を見つけ、正確に刃を落とせば、驚くほど素直に割れていく。
その瞬間の達成感に、彼は心から魅了されていった。

近所の子どもたちが裏山で遊んでいるとき、薪割りをしている健一をよく見かけた。
最初は「おじさん、なんでそんなに一生懸命木を割ってるの?」と不思議そうにしていたが、健一は笑って「木を割ると、心まで割れて軽くなるんだよ」と答えた。
その言葉が子どもたちにはよくわからなかったが、楽しそうに斧を振るう姿を見て、なんだか気持ち良さそうだと感じたらしい。

冬になると、健一の家のストーブには薪が絶えなかった。
火がぱちぱちと弾ける音を聞きながら、妻と熱いお茶を飲むひとときが、彼にとって至福だった。
外は雪が降り積もり、寒さが厳しさを増すほどに、ストーブの炎は家族の心を温めた。

ある年、集落の人たちが冬支度に困っていると聞いた。
高齢の世帯が増え、薪を用意できない家も多い。
健一は自然と、「余っている薪を分けましょうか」と声をかけていた。
それからは、彼の薪割りは自分のためだけでなく、近所のための仕事ともなった。

「健ちゃんの薪はよく燃えるねぇ」
「ありがたいよ、ほんとに」

感謝の言葉をもらうたびに、健一の心はさらに温かく満たされた。

春が来て、山桜が咲き乱れる頃。
健一はまた裏山に出て、新しい丸太を前に斧を構える。
振り下ろすたびに、木が割れる音が山に響き、鳥の声と溶け合う。
都会で忘れかけていた「生きている実感」が、ここには確かにあった。

薪割りは単なる作業ではない。彼にとってそれは、生き方そのものを象徴する営みになっていた。
硬い木に挑み、工夫し、汗を流し、やがて形となる。
人生もまた同じだ。
簡単には割れないものもあるが、適切な角度と力加減を見つければ、必ず道はひらける。

健一は今日も、黙々と斧を振るう。
薪が積まれていく山を見上げながら、彼は静かに思う。

――薪割りをしている限り、自分は自然とつながっていられる。
生きていることを、きっと忘れない。