八月の終わり、夏の夜空に大輪の花が咲いた。
川沿いの堤防に腰を下ろした蓮(れん)は、遠くに広がる光の群れを見上げながら、胸の奥にしまい込んでいた思い出を引き出すように、ゆっくりと息を吐いた。
――花火を見ると、いつもあの夏を思い出す。
高校二年の夏、同じクラスの美琴(みこと)が「一緒に花火大会へ行こう」と声をかけてくれた。
蓮は驚きと嬉しさの入り混じった気持ちで頷き、浴衣姿の彼女と並んで歩いた夜を、昨日のことのように思い出せる。
屋台の明かり、焼きそばやかき氷の匂い、子どもたちのはしゃぎ声。
そして、空を彩った最初の花火の衝撃。
光が広がる瞬間、美琴が「わぁ」と小さな声を漏らし、その横顔を横目で盗み見た。
頬に映った光があまりにもきれいで、胸が高鳴った。
だが、その夏は終わりが早かった。
美琴の父親の転勤で、彼女は突然、遠くの街へ引っ越すことになったのだ。
別れ際、彼女は「また、花火を一緒に見ようね」と笑った。
その言葉を信じて、蓮は何年も夏になるたびに花火を見上げてきた。
けれども連絡は途絶え、約束は宙ぶらりんのまま時間だけが過ぎていった。
――あれから十年。
蓮は社会人になり、仕事に追われる毎日を過ごしていた。
青春の記憶も、少しずつ色褪せていくはずだった。
だが、不思議なことに、花火の光だけは色あせなかった。
夜空に咲くたび、十七歳の心臓の鼓動を思い出させる。
その日も仕事帰り、ふらりと立ち寄った河川敷で花火大会に出くわした。
人混みを避けて少し離れた場所に腰を下ろしたとき、不意に背後から声がした。
「……蓮くん?」
振り返ると、浴衣姿の女性が立っていた。
驚くほど懐かしい声。
けれども確かに大人びた顔立ち。
十年前の約束が、突然目の前に立っていた。
「美琴……?」
二人はぎこちなく笑い合った。
しばらくは「元気だった?」「どうしてここに?」と、表面的な言葉を交わすだけだった。
だが次第に、遠ざかっていた時間の壁が、花火の音に溶かされていくように感じられた。
美琴は言った。
「この町に戻ってきたの。父の転勤も終わって、ようやく……。今日、花火大会があるって知って、もしかしたらって思ったの」
蓮は胸が熱くなるのを感じた。
十年前と同じ約束が、今、叶えられようとしている。
轟音と共に、大きな花火が夜空を染めた。
二人は並んで見上げた。
光が弾けるたびに、美琴の横顔が照らされる。
その姿はあの夏と重なり、時間の隙間がひとつずつ埋まっていく気がした。
「覚えてる? 最後に言った言葉」美琴が小さくつぶやいた。
「……『また、花火を一緒に見よう』って」
蓮は頷いた。
忘れたことなんて、一度もなかった。
「十年も待たせちゃったね」
「十年経っても、こうして会えたんだ。遅すぎるなんてことはないよ」
次の瞬間、夜空に咲いた大輪の花火が、まるで二人を祝福するように光を降らせた。
音の余韻に包まれながら、蓮は決意した。
もう二度と、この手を離さないと。
夏の夜風が川面を撫で、光の粒が空から零れ落ちる。
二人の心に咲いた花火は、これからも消えることなく、輝き続けるだろう。