健太は、子どものころから少し変わった好みを持っていた。
ラーメン屋に家族で行けば、他の子どもたちはチャーシューや煮卵を奪い合うのに、彼は丼の隅に控えめにのせられたメンマをひたすら噛みしめていた。
コリコリとした食感と、ほんのり香る発酵の風味。
それが健太にとっては何よりのごちそうだった。
成長してからもその嗜好は変わらなかった。
学生時代は昼食のたびにメンマをトッピングし、社会人になった今では冷蔵庫に常に数種類のメンマを常備するほどだった。
スーパーで買える真空パックのもの、業務用の大容量パック、さらにネットで取り寄せた本格派の味付けメンマ。
仕事から疲れて帰った夜でも、ビールと一緒にメンマをつまめば、不思議と肩の力が抜けていった。
そんな健太の趣味を、同僚たちは面白がっていた。
飲み会で居酒屋に行けば「メンマがあったぞ、健太!」と誰かが注文し、テーブルに出てくれば自然と彼の前に集まる。
彼は得意げに語るのだ。
「このメンマは甘めに煮てあるね。たぶん鷹の爪を控えめにしてる」「こっちは胡麻油が強すぎる、バランスが惜しい」――そんな調子だから、いつしか「メンマ博士」とあだ名をつけられていた。
ある休日の午後、健太はふと「自分で作ったメンマを食べてみたい」と思い立った。
乾燥メンマを戻すところから始め、昆布や鰹で丁寧に出汁をとり、醤油とみりんでじっくり煮込む。
手間はかかるが、台所に立っている時間が心地よい。
味が染みていく香りを嗅ぐたびに、まるで自分だけの小さな夢が形になっていくようだった。
数日後、友人を自宅に招いて試作品をふるまった。
テーブルには酒の肴が並んでいたが、みんなが手を伸ばしたのはやはり自家製メンマだった。
「市販のより優しい味だな」「噛むとちゃんと竹の香りがする!」と好評で、健太は顔を赤らめながらも、胸の奥にじんわり温かいものを感じた。
その日を境に、彼の「メンマ作り」は趣味からライフワークへと変わった。
出汁の取り方を変えてみたり、唐辛子や山椒を効かせてみたり、試行錯誤の連続だ。
週末ごとに瓶詰めを作り、知り合いに配るようになった。
やがて「また健太のメンマが食べたい」と声をかけられるようになり、冗談半分で「店でも開いたら?」と言われることさえあった。
そんな中、彼はある出会いを果たす。
近所にできた小さなラーメン屋で、カウンター越しに出されたメンマの味に衝撃を受けたのだ。
歯ごたえは軽やかで、ほんのりと柚子の香りが広がる。
思わず店主に「どうやって作っているんですか?」と尋ねると、店主は笑って「秘伝です」と答えた。
その瞬間、健太の中で火がついた。
自分も、食べた人を驚かせるようなメンマを作りたい。
以来、健太の研究はさらに深まった。
竹の産地や保存方法まで調べ、発酵食品の勉強まで始めた。
仕事と並行しての挑戦は大変だったが、不思議と苦にはならなかった。
夜更けに台所でコトコト煮込む鍋を見つめながら、彼は思う。
「メンマ一つで、こんなに世界が広がるなんて」。
数年後、健太は思い切って行動に出た。
小さな屋台を借り、「メンマつまみ処」と書いた暖簾を掲げたのだ。
ラーメンではなく、あくまでメンマが主役。
酒の肴として、数種類の味付けを用意し、客に食べ比べてもらう。
初日は不安でいっぱいだったが、ふらりと立ち寄った人々が「こんなの初めて」と笑顔を見せてくれた瞬間、すべてが報われた気がした。
やがて店は口コミで評判となり、遠方から足を運ぶ客も増えていった。
健太はカウンター越しに語る。
「メンマって、ただの脇役じゃないんですよ。噛むほどに深い味があるんです」。
その言葉にうなずきながら、客たちはまた一口、コリコリと音を立てる。
気づけば、彼の人生はメンマを中心に回っていた。
しかし健太は満足していた。
子どものころに丼の隅で出会ったあの一本が、こうして自分の道を作ってくれたのだと思えば、これほど幸せなことはない。
今夜も屋台の灯りの下で、健太は自慢のメンマを小皿に盛りつける。
噛むほどに広がる音と香りが、人と人とを繋ぎ、彼自身をも豊かにしていく――。