夜の帳が下りはじめる頃、町の神社の境内は賑やかなざわめきに包まれる。
夏祭りの灯りがともり、赤や黄色の提灯が風に揺れる。
境内の参道を彩る屋台の列の中に、一際鮮やかな赤が目を引く店があった。――りんご飴の屋台だ。
飴を纏ったりんごは、提灯の光を受けて宝石のように輝いている。
子どもたちはその赤に目を奪われ、親の袖を引っ張っては「欲しい」とせがむ。
その屋台を切り盛りしているのは、六十を過ぎた職人、吉蔵であった。
彼は若い頃から祭りの屋台を渡り歩き、三十年以上りんご飴を作り続けてきた。
彼にとって、りんご飴はただの菓子ではなかった。
ひとつひとつの飴に、ある願いを込めて作っていたのだ。
――子どもの頃、吉蔵には幼なじみの少女がいた。
名前は美佐。
二人は祭りが大好きで、毎年一緒に境内を歩き、りんご飴を分け合った。
美佐はりんご飴が大好きで、いつも「甘いけど、酸っぱくてね。
まるで恋みたい」と笑っていた。
だが、ある年を境に美佐は町を離れ、二人の時間は途切れた。
吉蔵はそれでも忘れなかった。
りんご飴を見るたび、あの夜の笑顔を思い出した。
その後、吉蔵は屋台の世界に飛び込み、りんご飴を作り続けた。
いつしか、子どもたちや恋人たちが笑顔でりんご飴を受け取る姿を眺めながら、「この赤が、誰かの思い出になるなら」と思うようになった。
――その年の夏祭り。
境内に一人の女性が現れた。
浴衣姿に涼しげな簪をさした、上品な人だった。
吉蔵が何気なく顔を上げると、その女性と目が合う。
瞬間、胸の奥に遠い記憶が蘇った。
「……美佐、か?」
声が震えた。
女性は驚いたように目を見開き、次の瞬間、懐かしい笑みを浮かべた。
「吉蔵くん、やっぱり。まだ、りんご飴を作っていたのね」
再会は偶然だった。
美佐は長い年月を経て、この町に戻ってきたという。
懐かしい参道を歩き、赤い飴の屋台に惹かれて立ち寄ったのだ。
吉蔵は飴を煮詰める手を止め、言葉を探しながら一本のりんご飴を差し出した。
「昔と同じように、赤くしてある。甘くて、ちょっと酸っぱくてな」
美佐はそれを受け取り、子どもの頃のように小さくかじった。
飴がぱりりと割れ、りんごの酸味が口いっぱいに広がる。
「……変わらない味。懐かしいね」
そう言った美佐の目に、うっすら涙が光っていた。
二人は境内の石段に腰を下ろし、りんご飴を手にしながら昔話を交わした。
あの頃の笑い声、川べりの道、夜空に弾ける花火。
長い時間が途切れていたはずなのに、言葉は自然に流れ出した。
やがて祭りのクライマックス、夜空に大輪の花火が打ち上がる。
赤や金色の光が空を染め、境内を照らした。吉蔵はその光の中で、美佐に向き直った。
「美佐。俺はずっと、りんご飴を作りながら思っていたんだ。――また一緒に食べられる日が来たらって」
美佐は驚いた顔をし、それからふっと微笑んだ。
「私も、りんご飴を見るたび思い出してたの。吉蔵くんと一緒に食べた夏を」
胸の奥で長い年月を越えて繋がったものが、確かにあると感じた。りんご飴の赤は、ただの飴ではなく、二人の約束の色になっていた。
その後、吉蔵の屋台には二人の姿が並ぶようになった。
美佐は手際よく子どもたちに声をかけ、吉蔵は変わらぬ腕で飴を纏わせる。
「甘くて、ちょっと酸っぱいのがいいんです」
そう言って渡すりんご飴に、笑顔が生まれるたび、吉蔵の胸には温かい灯がともった。
――夏祭りの灯りがまた巡る頃。
赤い飴玉は、子どもたちや恋人たちの手に渡り、そしてまた一組の男女をつなぎ直した。
りんご飴は、ただの菓子ではない。
誰かの記憶を鮮やかに染める、赤い約束のかけらだった。