十二月の風は、町の角を曲がるたびに鋭く頬を刺した。
吐く息は白く、空は早くも夕暮れの色を帯びている。
春香は手袋の中で指先をぎゅっと握り、帰り道を急いでいた。
仕事納めまであと一週間。デスクワークで冷えきった身体に、早くこたつのぬくもりが恋しい。
そのときだった。
「や〜きいも〜、おいしいおいしい、あま〜いおいも〜」
かすかに流れてくるスピーカーの声と、ふわりと鼻をくすぐる香ばしい匂い。
春香は足を止めた。
路地の奥、小さな軽トラックの荷台に、黒い焼き窯が乗っている。
周囲には湯気がふわりと立ちのぼり、まるでそこだけ時間がゆっくり流れているようだった。
「一つ、どうですか?」
声をかけてきたのは、白髪混じりの男性。
柔らかい笑顔と、日に焼けた頬が印象的だった。
春香は財布を探しながら、「じゃあ、一本ください」と言った。
男は厚手の軍手で芋を取り出し、新聞紙と袋で包んでくれた。
袋越しにも、ほくほくとした熱がじんわりと手に伝わってくる。
「寒い日には、これが一番ですよ」
そう言って渡された焼き芋は、重みとともに、なんだか懐かしい温かさを持っていた。
***
家に着くと、こたつに潜り込みながら袋を開けた。
パリッと割れた皮の中から、黄金色の実がほくほくと顔を出す。
湯気の中に甘い香りが広がり、思わずため息がこぼれた。
一口かじると、熱々の甘みが口いっぱいに広がる。
外の寒さと、こたつの暖かさ、そして焼き芋のほくほく感――それらが重なって、胸の奥にじんわりと沁みていく。
春香の頭に、小学生の頃の冬休みの情景がよみがえった。
母と一緒に近所の公園へ行き、帰りに焼き芋屋さんを見つけて、二人で分け合って食べた。
手袋を外して持った芋の熱さや、冷たい空気の中で湯気を吹きながら笑いあったこと。
あの頃の母の笑顔は、今でも鮮やかだ。
母は三年前に他界した。
病室で手を握ったときの冷たさを思い出すと、今でも胸が締めつけられる。
でも、あの路地の焼き芋屋の匂いが、不思議と母の温もりを連れ戻してくれた気がした。
***
それから、春香はその焼き芋屋を探すようになった。
しかし路地を曲がっても、あの軽トラックは見当たらない。
週末や夕方に歩いてみても、焼き芋の匂いはどこからも漂ってこない。
半月ほどたったある日、仕事帰りにまた例の声が聞こえた。
急いで路地に入ると、そこにはあの日と同じ軽トラックがあった。
「この前のお嬢さんだね」
店主はすぐに春香を覚えていて、笑顔で迎えてくれた。
「前に食べた焼き芋、すごく美味しかったんです」
そう伝えると、店主は嬉しそうに頷いた。
「実はね、この芋は鹿児島の友人が作ったものでね。毎年この時期だけ分けてもらって、こうして売ってるんですよ。長くは続けられないけど、寒い冬の間だけの商売です」
袋を受け取りながら、春香は思わず聞いた。
「この焼き芋、なんだか母の味を思い出すんです」
店主は少し目を細めた。
「それは、きっと芋の力ですね。食べ物って、不思議と人の記憶を呼び起こすものなんですよ」
***
その日から、春香は週に一度は焼き芋を買いに行った。
仕事で疲れた帰り道、袋から漂う甘い匂いを感じながら歩く時間は、冬のささやかな楽しみになった。
春香の部屋のこたつの上には、新聞紙に包まれた焼き芋と湯気の立つ緑茶。
外の寒風をよそに、部屋の中は小さな楽園のようだった。
春香は、母と一緒に食べた冬の焼き芋のように、誰かとこの温かさを分け合いたいと思い始めていた。
来年の冬、この焼き芋を手に、誰かを誘える日が来るかもしれない――そう思うと、胸の奥がぽっと温かくなった。