チューリップの約束

面白い

春の訪れを告げるように、町の小さな丘に咲き誇るチューリップ畑がある。
その花畑を、誰よりも大切にしてきたのが、七海(ななみ)という女性だった。

七海は幼い頃、祖母と一緒にチューリップの球根を植えた記憶がある。
まだ手のひらよりも小さかったその球根を、祖母が優しく教えてくれた通りに土に埋め、水を与えた。

「チューリップはね、冬を越えて、ちゃんと春に咲くの。がんばった証拠よ」

その言葉が、七海の心にずっと残っていた。

七海の祖母は、花が好きな人だった。特にチューリップを愛していた。
理由は聞いたことがない。
ただ、咲いた花を見ては、「おかえり」と呟くように微笑む姿が忘れられなかった。

やがて祖母が亡くなり、家も町も変わっていったが、七海だけは毎年、祖母と一緒に育てた丘に通い続けた。
球根を植え、手入れをして、春にはその色とりどりの花を見上げては、祖母の面影を感じた。

大学を出て、花に関わる仕事がしたいと、地元のフラワーショップに勤めた七海は、やがて自分で畑を管理するようになった。周囲からは「チューリップの人」と呼ばれ、町の小学生たちが花を見に来るたびに笑顔で案内をしていた。

そんなある春、東京から一人の青年がやってきた。
名前は涼介。
風景写真を撮って全国を旅しているという。

「このチューリップ畑、昔ネットで見たことがあって。どうしても本物を見たくて来たんです」

涼介はそう言って、何日も畑に通い、花の姿をレンズに収めていった。
七海も彼の熱心さに心を開き、気づけばふたりは毎日のように話をするようになった。

「この花たち、七海さんがずっと育ててるんですか?」

「うん。小さい頃から。祖母と一緒に始めて、それからは一人で」

「すごいな……僕は、何かを続けられる自信がないから、旅ばかりしてるのかも」

涼介はふと目を伏せた。
その横顔に、七海は少し胸が痛んだ。

数日後、雨が降り続き、畑の一部が泥で崩れた。
花が何本も倒れ、色を失っていった。

「……悔しいな。せっかく咲いてくれたのに、ごめんねって思っちゃう」

七海がそう呟いた時、涼介が傘を差し出しながら言った。

「自然のことだから、全部思い通りにはならない。でも、ここに咲いたってことがすごい。僕はそう思います」

その言葉に、七海は思わず涙ぐんだ。

「……ありがとう」

涼介は写真を撮り終えると、また旅に出ると言った。
だが、その別れ際にこんなことを言った。

「この畑、来年も見たい。また、来てもいいですか?」

七海は少し驚いた顔で、そして笑った。

「うん。ちゃんと咲かせて待ってるよ」

翌年の春、丘には今年もチューリップが咲いた。
色とりどりの花の中に、一本だけ、七海が新しく育てた、純白のチューリップがある。
涼介が「一番好きだ」と言っていた色だ。

風が吹き、花々がゆれる。

その中を、涼介がカメラを提げて歩いてくるのが見えた。

七海は微笑みながら言った。

「おかえり、チューリップの季節だよ」

――それは、春になるたびに交わされる、二人だけの小さな約束となっていった。