白いスプーンの約束

食べ物

冷蔵庫を開けるたび、結月(ゆづき)は無意識に生クリームの容器を探してしまう。
小さなプラスチックのカップ、ふたを開けると、雪のようにふわりと盛り上がった白い山。
スプーンですくえば、しゅわん、と音がするような気がして、口に含めば静かに消えていく。

――生クリームが好きだ。

それは恋とか好意とか、そういうものよりも、もっと根の深い執着に近かった。

最初にそれを口にしたのは、小学三年生の冬だった。
祖母の家で手作りのショートケーキを食べた。
イチゴがのったケーキ。
ふわふわのスポンジ、生クリームの塗り方は雑だったけれど、そこにのった白いクリームが、信じられないほどやさしい味をしていた。

「ばあば、この白いやつ、なに?」

「生クリームよ。好きかい?」

「うん……おいしい……ずっと食べてたい……」

それからだった。
誕生日も、クリスマスも、なんでもない日も、結月は「生クリームが食べたい」と言うようになった。

中学生になってからは、ホイップクリームの作り方を自分で覚えた。
スーパーで動物性の生クリームを買ってきて、金属ボウルを氷水につけ、泡立て器を回す。
最初は腕が痛くてうまくいかなかったけれど、回数を重ねるごとにコツがわかってきた。

ゆるく、でもツノが立つくらいに。

泡立ったその白い塊を、スプーンですくってひとくち。
その瞬間、疲れも悩みも、全部ふわりと溶けていく気がした。

「またクリームだけ食べてるの?」

妹の杏奈が台所にやってきて呆れた顔をする。

「いいじゃん。おやつだよ」

「もう大学生なんだから、ちゃんと栄養考えなよ。太るよ?」

「いいの。心の栄養なの、これは」

冗談みたいに言ったが、本気だった。
甘さのなかにある静かな優しさ、あのころ祖母がくれた安心感が、生クリームの味に重なっている。
たったひとくちで、いくつもの記憶が立ちのぼる。白い湯気みたいに。

だがその祖母は、もういない。

二年前に亡くなったとき、祖母のレシピノートが遺品として渡された。
紙は色あせていたけれど、あのケーキの作り方も、しっかりと書かれていた。
スポンジに塗る生クリームの割合まで、丁寧な字で。

春になって、結月は祖母のレシピでショートケーキを焼いた。
祖母が使っていたのと同じアルミの丸型、オーブンの中で膨らんでいく生地に、思わず笑ってしまった。

スポンジが焼けたら、生クリームの番だ。

動物性の濃厚なクリームに、きび砂糖をひとさじだけ。
手動で泡立てることにこだわった。
電動ミキサーを使えば簡単なのに、あえて手間をかけた。
そうやっていると、台所に祖母の気配が戻ってくる気がした。

「クリームはね、混ぜすぎちゃだめなの。ふわっと、息を抱きしめるみたいにね」

祖母がよく言っていた言葉を思い出しながら、ゆっくり、ゆっくり泡立てる。

そしてできあがったケーキを、白い皿にのせて、ベランダで食べた。

口の中で、時間が巻き戻るようだった。

――ありがとう、ばあば。

その日から、結月は“生クリームを作る人”になった。

友達の誕生日、妹が落ち込んだ日、自分がどうしようもなく泣きたい夜、いつも台所に立って、生クリームを作った。
ショートケーキだけじゃなく、ロールケーキ、ミルクレープ、シュークリームにも挑戦した。

生クリームは、主役ではない。
だが、どの菓子にも欠かせない存在だ。

やさしさで、甘さを包む。
白で、世界をやわらかくする。

いつか、カフェを開きたいと思うようになった。
生クリームが主役の、小さなケーキ屋さん。
「白いスプーン」という名前も考えてある。

祖母のノートをレジ横に飾って、生クリームに込めた記憶と想いを、ひとつひとつ届けていくのだ。

それは、きっと“好き”という気持ちの、いちばんやさしい形。

今夜も結月は、台所に立つ。
銀のボウルに、生クリームを注ぎながら、自分の原点と未来を、泡立てていく。