北海道の奥深い山中に、「ヌプリ」と呼ばれる一頭のヒグマが暮らしていた。
アイヌ語で「山」という意味を持つその名は、まだヌプリが小熊だった頃、森で暮らす老人に名付けられた。
ヌプリは生まれつき体が大きく、毛並みは深い焦げ茶色で、目は琥珀色に輝いていた。
母グマと共に季節の流れに沿って移動し、春にはフキノトウや山菜を食べ、夏には川でサケを獲り、秋にはドングリを探し、冬には雪深い穴で冬眠した。
母から生きる術を学び、やがて自立の時を迎えると、ヌプリは単独で森を歩き始めた。
ヌプリの縄張りには、清らかな川と広葉樹の林、岩だらけの斜面があった。
そこは四季の移ろいが美しく、春にはエゾエンゴサクが咲き、秋には紅葉が一面を彩った。
ヌプリはその森を愛していた。
彼は誰にも邪魔されず、静かに生きていた。
しかし、ある年の春、風の匂いが変わった。
森の奥から、見慣れぬ匂いが漂ってきた。
人間の匂いだった。
登山者が増え、森にトレイルがつくられた。
ドローンが頭上を飛び交い、カメラを構えた者たちがヒグマの姿を求めて森に入り込んだ。
ヌプリは最初、遠くから人間の動きを観察していたが、次第に距離が縮まっていくことに不安を覚えた。
ある日、小さな山小屋の近くに置かれたゴミの山から、甘い匂いが漂ってきた。
ヌプリは我慢できず、夜の闇に紛れてそのゴミに近づいた。
袋を破って中をあさると、パンのかけらや焼き魚の骨が出てきた。
ヌプリは夢中になって食べた。
その一度きりの「誤ち」が、彼の運命を変えた。
翌日、小屋の管理人が騒ぎ立て、地元の行政は「人馴れした危険なヒグマが出没」として警告を出した。
カメラマンたちは血眼になってヌプリの姿を追い、SNSには「巨大グマ出没!」と拡散された。
山を愛するある写真家、斉藤岳志は、それを見て深い悲しみを感じた。
彼は昔、山奥で一度だけヌプリに出会ったことがある。
そのときヌプリは、人間を警戒しながらも静かに立ち去っていった。
あの姿には、山の精霊のような威厳と優しさがあった。
「このままじゃ、ヌプリが駆除されてしまう」
斉藤は山岳会や環境保護団体に働きかけ、ヌプリの縄張りを調査し、人の立ち入りを制限する区域を設ける提案をした。
だが、山を訪れる人々の中には、「自然は人間のものだ」と考える者も少なくなかった。
一方、ヌプリは再び森の奥へと姿を消した。
人間の匂いを避け、山奥の岩場でひっそりと暮らしていた。
彼はもう、ゴミには近づかなかった。
かすかに残る母の教えが、胸の奥で警鐘を鳴らしていたのかもしれない。
時が経ち、森に静けさが戻った。
ヌプリは再び、川でサケを追い、林を歩き、冬の支度を始めた。
彼はもう、人前に姿を現すことはなかった。
斉藤は、遠くからその足跡を見つけ、そっと手を合わせた。
「生きていてくれれば、それでいい」
ヌプリという名のヒグマは、今日も北の森のどこかで生きている。
彼は山の王であり、森の記憶をまとった存在だ。
人間がそれを思い出せる日が来るまで、ヌプリは静かに、ひとりで季節をめぐり続ける。
――風が吹くたびに、彼の毛並みが揺れる。
その姿はまるで、森そのものが呼吸しているかのようだった。