陽向(ひなた)は、小さな田舎町に暮らす二十五歳の女性だった。
小学校の頃から、授業中でもノートの端に絵を描いては先生に叱られるような子だった。
けれど、その絵にはどこか温かく、見た人をホッとさせる力があった。
「また落書きか」と言われても、陽向にとって絵を描くことは息をするように自然だった。
家の窓辺には色とりどりのクレヨン、鉛筆、水彩、パステルが並び、彼女の手にかかると、ありふれた風景が命を持ったように紙の上に広がった。
高校を卒業した陽向は、進学も就職も選ばず、町の小さな文具店でアルバイトをしながら絵を描き続けていた。
両親は心配し、「せめて資格のひとつでも」と何度も言ったが、彼女は笑って答えるだけだった。
「私、絵が描ければ、それで幸せだから」
けれど現実は甘くなかった。
周囲の友人たちが社会人として成長し、恋愛や結婚、転職の話をする中、陽向だけが取り残されているような気がした。
画材も高く、個展を開く資金もない。
描いても誰にも見てもらえず、スケッチブックの山が静かに増えていくだけだった。
そんなある日、文具店にひとりの老人が現れた。
背は小さく、髪も真っ白で、杖をついていたが、その目だけは鋭く、まるですべてを見透かすようだった。
「絵を描く人はいるかい?」
その一言に、店主が陽向を指差した。
老人は彼女に言った。
「見せてくれ。お前の心を」
躊躇いながらも、陽向はスケッチブックを差し出した。
風にそよぐコスモス、雨上がりの軒下の猫、弟と拾った海辺の貝殻。
何気ない日常を描いた絵の数々に、老人は一枚ずつ目を細め、黙ってページをめくった。
「これは、いい絵だ。心がある」
その言葉に、陽向の胸がじんわりと温かくなった。
老人は近くの画材屋を経営していた元画家・佐伯だった。
若い頃は都心で個展を開き、名の知れた人物だったが、妻の病をきっかけにこの町へ戻ってきたという。
「絵は、誰かに見せて初めて生きる」
そう言って、佐伯は陽向に提案した。
「この町の風景を描いてみないか」と。
人々が見逃している美しさを拾い集めて、小さな展示会を開こう、と。
陽向は迷いながらも頷いた。
そこからの数ヶ月、彼女は町を歩き、朝の田んぼ、夕暮れの神社、古い駅舎、商店街の灯りをスケッチブックに描きとめた。
佐伯は毎週、その絵に講評をつけ、時に厳しく、時に静かに褒めてくれた。
描くたびに陽向の心は軽くなり、筆が踊るようになった。
やがて、町の小さな図書館の一角で、陽向の初めての展示会が開かれた。
最初は通りすがりの人ばかりだったが、「こんな風景、あったんだね」「懐かしいな」と、だんだんと足を止める人が増えた。
感想ノートには「元気が出た」「また描いてほしい」という言葉が並び、陽向は泣きそうになった。
絵が、誰かに届いた。
それは陽向にとって、夢のような瞬間だった。
展示会の終わりの日、佐伯は静かに言った。
「もう、私が教えることはないな」
それから半年後、佐伯は静かにこの世を去った。
けれど彼が残した言葉と支えは、陽向の中で今も生きている。
現在、陽向は町の空き家を改装して、小さなアトリエ兼ギャラリーを開いた。
子どもたちに絵を教え、町の風景を描き続けている。
筆先から咲くのは、花のような温もり。
あの日、誰にも見せられなかった絵は、今、誰かの心をそっと包んでいる。