深い森の奥、シダと木苺の茂る小道を進んだところに、小さなクッキーのお店がある。
屋根には苔がふかふかに生え、煙突からはほんのり甘い香りが立ちのぼっている。
お店の名は「クマのコンラッドのクッキー屋さん」。
店主は、その名の通り、大きな体に優しい目をしたくまのコンラッド。
彼はもともと、はちみつ採りの名人だったが、ある日、うっかり落とした蜂蜜がクッキー生地に混ざったのがきっかけで、彼の運命が変わった。
「こりゃあ……世界一の味かもしれん」
そうつぶやいた彼は、その晩、夢中でクッキーを焼き続けた。
森の動物たちに配ったところ、評判はたちまち広がった。
リスの兄弟が「もっとちょうだい!」と行列をなし、フクロウ先生が「知恵の木のふもとでも話題になっとるよ」と言いに来た。
次第に、お店は忙しくなった。
コンラッドは、材料にこだわった。
はちみつは朝一番の花の蜜を、バターは近くの牧場から、ナッツはリスたちと交換した森の恵み。
小麦粉もふくろう先生が紹介してくれた小さな風車小屋から取り寄せた。
でも、何よりも大切にしていたのは「誰かの顔を思い浮かべながら焼くこと」だった。
「今日は、きっと鹿のロミオが来る。彼にはクルミ入りのサクサククッキーが合うな」
「ウサギのミミには、にんじんとジンジャーのクッキー。彼女の元気にぴったりだ」
そうやって、日ごとに違うレシピが並ぶのが、このお店の特徴だった。
ある日、コンラッドの店に見慣れない小鳥がやってきた。
くちばしの赤い、小さな旅人の鳥だった。
「こんにちは。私はソフィア。遠くの山を越えてきたの。おいしいって噂を聞いて、どうしても来てみたかったの」
そう言って、ソフィアは羽をふるわせた。
疲れきった様子だった。
コンラッドは何も言わず、ほんのり温かいミルクと一緒に、特製の「おやすみクッキー」を出した。
カモミールとラベンダーを練りこんだ、彼だけのレシピ。
ソフィアはそれを一口食べて、ぽろぽろと涙をこぼした。
「こんなに優しい味、初めて……」
それからというもの、ソフィアは毎日店に通うようになった。
時には歌を歌い、時にはコンラッドの代わりに注文を聞いたり、レジを打ったり。
小さな翼でできることは少なかったけれど、彼女の存在は店に明るい風を運んだ。
季節が巡り、森に雪が降る頃。
ソフィアは旅立つ決意をした。
春になったらまた戻ってくると約束して。
「さようならじゃないよ。また、ね」
コンラッドはうなずきながら、ソフィアのために特別なクッキーを包んだ。
それは「旅のお守りクッキー」と呼ばれる、オートミールとレーズン、シナモン入りの滋養たっぷりのもの。
ソフィアが空高く舞い上がるのを見送りながら、コンラッドはつぶやいた。
「クッキーって、思い出のかけらみたいだな」
春になれば、また誰かが訪れる。
新しい出会いがあり、新しいレシピが生まれる。
クッキーには物語が詰まっている。
今日も森の奥、小さな店から、甘い香りがふわりと風に乗って流れていく。