和紙のひかり

面白い

小川紬(つむぎ)は、祖父の和紙工房で育った。
岐阜の山奥、清流のほとりにある古びた工房は、春になると紙を漉(す)く音と水のせせらぎが響き合う。
幼いころから、祖父が漉く和紙の白さに魅せられてきた。
手にすると、冷たく、けれど温かい。
指の先でそっとなぞると、繊維の一本一本が息づいている気がした。
「紙は、生きとるんや」
祖父は、決まってそう言った。
だが、時代は変わった。
手漉きの和紙は売れず、祖父の工房は閉じた。
紬はそのまま都会の大学に進み、デザインを学んだ。
祖父の言葉も、和紙の手触りも、遠ざかった。
けれど、心の奥にしずかに残り続けていた。
ある冬、卒業制作で「素材の可能性」をテーマにした作品を考えていた紬は、ふと思い立ち、祖父の工房に足を運んだ。
薄い雪が積もった工房は、数年ぶりに開けた戸口から冷たい空気が流れた。
そこに、祖父の姿はない。
祖父は二年前に亡くなっていた。
しかし、和紙の道具たちは、静かにそこにあった。

――あの時の紙に、もう一度、触れてみたい。
そう思った。何も知らないままでは嫌だった。
紬は、見よう見まねで紙を漉いてみた。
結果は、ひどいものだった。
繊維はまとまらず、穴だらけ。
それでも、何度も何度も漉き、乾かし、破ってはまた漉いた。

指先が冷えきった頃、ふと気づいた。
水に流した楮(こうぞ)の繊維が、手の動きに合わせてふわりと広がり、ゆるやかに寄り添っていく。
その瞬間――ああ、これだ、と胸が震えた。
祖父が言っていた“紙が生きている”という感覚。
形になろうとする繊維の意志。
それを邪魔せず、そっと導く。
それが、和紙と向き合うことなのだ。
その夜、紬は祖父の作業机の引き出しで、未完成の和紙が束ねられた包みを見つけた。
小さく祖父の字で、「光の紙」と書かれていた。
薄く、けれどしなやかなそれは、手にするとほのかに光を透かした。

紬は思った。
祖父の紙を、自分の手で完成させたい。
和紙と現代デザイン。
かけ離れて見える二つのものを、繋げてみよう。そう決めた。
都会へ戻った紬は、和紙にLEDライトを仕込み、透ける光を活かしたインテリア作品を試作した。
展示会に出すと、それは予想以上の反響を呼んだ。
手漉き和紙の柔らかな光に、訪れた人々が目を見張ったのだ。
「これは、あなたが漉いたんですか?」
問いかけられるたび、紬は胸の奥で祖父の声を思い出した。
「はい。和紙は、生きています」

その言葉が、紬の新しい始まりとなった。

今、紬は祖父の工房を改装し、和紙とデザインを融合させたアトリエを開いた。
和紙に宿る静かなひかりは、時代を越えて、そっと人の心に届いている。