りんご色の約束

食べ物

長野県・安曇野の小さな町に、ひとつのりんごジャム専門店が誕生した。
店の名前は「林檎日和」。
店主は三宅結衣、三十歳。
長野生まれ、東京育ち。
両親は果樹農家だったが、結衣が十歳のとき、農業をたたみ一家で東京へ引っ越した。
結衣は東京で普通のOLになった。
毎日、資料作成に追われ、残業で終電に間に合わず、コンビニで買う菓子パンが夕飯だった。
そんな日々に、ふと思い出すのは、子どものころ、祖母が作ってくれたりんごジャムの味だった。
たっぷりの紅玉を煮詰めた、甘酸っぱくて透き通った琥珀色のジャム。
パンにのせても、ヨーグルトに混ぜても、温かい紅茶に溶かしても美味しかった。
「わたし、あの味が好きだったんだ」
ある冬、帰省ついでに祖母の家を訪ねた。
相変わらず祖母は台所に立ち、真っ赤なりんごを刻んでいた。

「ジャム、まだ作ってたんだ」
「そりゃあね。うちの畑の紅玉があるうちは、煮続けるよ」
祖母はにっこり笑い、瓶詰めを結衣に渡した。
味見をした瞬間、胸の奥がきゅっとなった。
変わらぬ味。
変わらぬ温かさ。
結衣はその年、思い切って会社を辞めた。
そして安曇野に移り住み、祖母の作り方を習った。
砂糖の量、煮詰める時間、火加減、すべてが絶妙で、教わっても一筋縄ではいかなかった。
何度も試作し、何百本も瓶詰めを繰り返した。
失敗しては泣き、成功しては笑った。
少しずつ、自分なりの味が見えてきた。
「自分の店を出したい」
決心は自然と固まった。
町の空き店舗を借り、カフェも併設する小さな店を始めた。
メニューはりんごジャムを使ったトースト、チーズケーキ、ホットアップルティー。
ジャムは瓶詰めで販売もした。
オープン初日、客は三人だけ。
それでも、祖母が来て、にこりと微笑んだ。
「始まったね」
「うん、これからだよ」
口コミがじわじわと広がった。
近所のパン屋が、結衣のジャムを使ったパンを作ってくれたり、地元のマルシェに誘われたり。
冬になると、観光客がジャムを買って帰ってくれるようになった。
「この味、どこか懐かしい」

そう言ってくれる人がいるたび、結衣は胸の奥がぽっと温かくなる。
祖母の作った味、結衣が重ねた時間、土地が育んだりんご。
それらが瓶の中でひとつになり、人の手に渡っていく。

「林檎日和」は今も、安曇野の町角で、りんご色の温かさを届けている。