日曜の朝、佳乃はいつものように近所のスーパーに向かう。
目的はただ一つ。
鶏むね肉の特売だ。
カートを押しながら精肉コーナーに向かうと、冷ケースの上に「国産鶏むね肉 100g 38円」の札が輝いていた。
佳乃は内心、小さくガッツポーズを決める。
周囲の客が手に取る前に、3パックを素早くカゴに入れた。
誰かが言っていた。
「鶏むね肉はパサパサしているし、旨味がない」──そんな言葉が耳に入るたび、佳乃は心の中で反論した。
「工夫次第で、鶏むね肉は最高に美味しくなるんだから!」
きっかけは数年前。転職して一人暮らしを始めた佳乃は、節約生活のために安い食材を探していた。
そんな時に出会ったのが、鶏むね肉だった。
最初は失敗ばかりだった。
硬く、パサつき、味も淡白でつまらない。
それでも諦めずに、塩麹に漬けてみたり、低温調理に挑戦したり、酒蒸しにしてみたり。
失敗と成功を繰り返すうちに、佳乃は気づいた。
――鶏むね肉は、手をかければ応えてくれる。
以来、佳乃は鶏むね肉に夢中になった。
SNSには「#鶏むね生活」のタグを付けて、自作レシピを投稿。
フォロワーも少しずつ増え、時には「これ作ってみました!」と写真が送られてくることも。
そんなある日、佳乃のもとに一通のDMが届いた。
「鶏むねレシピ、いつも参考にしています。よかったら一緒にコラボしませんか?」
送り主は、同じく料理投稿をしている男性だった。
名前は直樹。
プロフィールを見ると、スポーツインストラクターをしながら、ヘルシー料理を発信しているらしい。
半信半疑で始めたオンラインコラボは、思った以上に楽しかった。
直樹の提案で、鶏むね肉を使った高たんぱく低脂肪レシピに挑戦すると、反響は一気に増えた。
「鶏むね、こんなに美味しくなるんですね!」
「夫が『これなら毎日食べたい』って言ってます!」
反応があるたび、佳乃の心は温かく満たされた。
気づけば、毎週末は直樹とレシピ動画を撮るのが日課になっていた。
画面越しに交わす何気ない会話が、次第に自然なものになっていく。
ある日、直樹がぽつりと言った。
「……今度、リアルで一緒に作らない? 佳乃さんの味、実際に食べてみたい」
驚きつつも、嬉しかった。
人見知りの佳乃が、思い切って「いいですね」と返事したのは、自分でも不思議だった。
初めて会った日のことは、今でも忘れられない。
画面越しと同じく、直樹は穏やかで、料理にも真剣だった。
二人で作ったのは、鶏むね肉のしっとりチャーシュー。
完成した一皿を前に、直樹が言った。
「……やっぱり、佳乃さんの鶏むね、最高だね」
その言葉が、何よりも嬉しかった。
それから二人は、時々一緒に料理をするようになった。
気づけば、レシピ動画は「ふたりの鶏むね日和」と題され、フォロワーは何万人にもなっていた。
鶏むね肉が結んだ、不思議な縁。
佳乃は今日も、特売の鶏むね肉を大事にカゴへと入れる。
これからも、この一枚一枚に、たくさんの工夫と、たくさんの笑顔を乗せていきたいと思うのだった。