佐和子(さわこ)は四十歳を過ぎたあたりから、家でパンを焼くようになった。
もともと料理は嫌いではなかったが、毎日の食事作りに追われるうち、ただの「義務」になっていた。
そんなある日、近所のパン屋で買った焼きたてのくるみパンを口にした瞬間、胸の奥がじんわり温かくなった。
「自分でも、こんなパンが焼けたら」
そう思ったのが始まりだった。
最初は、スーパーで買ったパン用ミックス粉に水を入れてこねるだけの簡単なものだった。
発酵もホームベーカリー任せ。
しかし、そこから彼女の興味は加速度的に深まっていった。
「イーストって、生きてるのね……」
本を読み、動画を見て、パン作りの奥深さを知るにつれ、佐和子はもっと自由に、もっと自分らしくパンを焼きたいと思うようになった。
天然酵母に手を出したのはその頃だ。
レーズンを水に浸け、毎日観察しながら瓶を振る。
泡が立ち、ふわりと甘酸っぱい香りがしてきたとき、彼女は小さく笑った。
「生きてる……ちゃんと、生きてるんだ」
夫は最初、そんな佐和子の変化に戸惑っていた。
「またパン焼いてるのか? 冷凍庫、いっぱいだぞ」
けれど、休日の朝にテーブルの上に並ぶ、カンパーニュやベーグル、バターロールの数々に、文句を言う回数も減っていった。
特に、コーヒーと一緒に食べるオリーブ入りのフォカッチャは、夫の大のお気に入りになった。
「……店、出せるんじゃないか?」
夫がぽつりとそう言った日、佐和子は笑いながら首を横に振った。
「私は、この家で焼くのが好きなの。店にしちゃったら、楽しいが義務になる気がして」
そう、彼女にとってパン作りは「自由」そのものだった。
天気に合わせて発酵時間を調整し、生地の声を聞くようにして手を動かす。
うまく膨らまない日もあるし、焦げすぎる日もある。
それでも、キッチンに広がるパンの香りだけは、いつも彼女の心を柔らかくしてくれた。
娘の美咲(みさき)は大学進学で家を離れていたが、帰省するたびに佐和子のパンを心待ちにしていた。
「ねぇ、ママ。私、あのパンの香りで育ったんだと思う」
そう言って、美咲はスープと一緒に丸パンを頬張る。
その姿を見ているだけで、佐和子は今日もパンを焼いてよかったと思うのだった。
ある年の春、近所の児童館から「親子パン教室」の講師を頼まれた。
最初は断ろうと思ったが、「家で焼いてるだけの私でいいなら」と引き受けた。
子どもたちと一緒にこねた生地は、どれも形がいびつで、粉まみれになった小さな手は笑いでいっぱいだった。
「先生!パン、ぷくぷくしてきたよ!」
その声に佐和子は、少し照れながらも嬉しくなった。
「うん、それが“生きてる”ってことなのよ」
彼女はいつも通りの柔らかな笑顔で答えた。
——パンの香りがする家。
それは、佐和子が焼いたパンだけでなく、家族の会話や笑い、季節の光までもが混ざりあってできた、幸せの香りだった。
そして今日も、朝陽が差し込むキッチンで、彼女は粉と水を合わせる。
それは、小さな魔法の始まりだった。