瀬戸内海に面した小さな町に、海藻の生態を研究している一人の女性がいた。
名前は高梨(たかなし)柚子、三十五歳。
かつて東京の大学で海洋生物学を専攻し、卒業後は研究所に勤めていたが、都会の喧騒と距離を置くようにして故郷の町へ戻ってきた。
彼女が心を寄せるのは、アマモという海藻だった。
海の中で小さな森のように広がり、多くの魚や貝の住処になるこの植物は、環境の変化に非常に敏感で、水質や海流のわずかな違いでも姿を消してしまう。
柚子はアマモ場の衰退に心を痛め、地元漁協と協力して保全活動を始めた。
「見えないところで、海は泣いているんです」
そう話す柚子の目には、海に対する強い情熱が宿っていた。
毎朝四時、彼女は軽トラに機材を積んで港に向かう。
小型ボートに乗り込み、朝焼けに染まる水面を進みながら、指定したポイントに潜ってアマモの生育状況を記録する。
酸素濃度、塩分濃度、水温――海藻の命を支える情報を一つひとつ丹念に集めていく。
「海藻なんて、ただの草じゃろ?」と漁師のひとりに言われたことがある。
柚子は笑いながら、こう答えた。
「じゃあ、森がなかったら、陸の生き物は生きていけますか?」
その日から、漁師たちの態度が少しずつ変わった。
海藻の再生が、魚の戻る兆しであることを知ったからだ。
アマモが育てば、稚魚が安心して育ち、やがて漁にも恩恵がある。
柚子の研究が「漁業の未来」とつながることを、彼らは肌で感じ始めた。
ある年の春、彼女は地元の小学校で出張授業を行った。
子どもたちに水中ドローンの映像を見せながら、「海の森」の大切さを伝える。
「ここに魚の赤ちゃんが住んでいるんだよ。お母さん魚が安心して卵を産めるのも、アマモがいるからなの」
それを聞いた一人の男の子が手を挙げて言った。
「じゃあ、ぼくもアマモを育てたい!」
その言葉に、柚子は胸が熱くなった。
子どもたちの未来に、少しでも豊かな海を残すこと。
それが彼女の研究の意味なのだと、あらためて気づかされた。
しかし、自然は時に容赦がない。
夏の終わり、台風が町を襲い、柚子が大切に育ててきたアマモ場は壊滅的な被害を受けた。
海底の泥が舞い上がり、若い芽はほとんど流されてしまった。
ボートからその光景を見下ろしたとき、柚子は言葉を失った。
それでも、あきらめるという選択肢はなかった。
「自然は何度でもやり直せる。だったら、人間も同じです」
そう言って彼女は再び種をまいた。
土嚢を沈めて流されにくい環境をつくり、流木や漁網で波を和らげる工夫を重ねる。
手作業での再生は時間がかかるが、少しずつ海底に緑が戻ってくるのが分かった。
数ヶ月後、柚子の元に一本の電話が入った。
大学時代の恩師からだった。
「君のデータ、国際会議で発表されることになったよ。瀬戸内のアマモ再生事例として、世界中の海洋学者が注目してる」
それを聞いたとき、柚子はただ黙って、窓の外の海を見つめた。
自分の行動が、海のどこかで同じように悩み、奮闘している誰かの力になる。
そう思うと、潮風のにおいが少し甘く感じられた。
今も柚子は、早朝の海に潜り、ノートにペンを走らせる。
アマモの葉が揺れるたび、小さな命の息吹が響いてくる。
静かで、確かで、未来につながる音だ。
彼女は今日も、海の森を守る。
目には見えない命のつながりを、誰よりも信じて。