マリーゴールドの手紙

面白い

祖母の庭には、毎年夏になるとマリーゴールドが咲き誇った。
橙と黄色の混ざったその花たちは、まるで太陽の欠片のようにまぶしく、子どもの頃の私は、それを見るたびに心が浮き立ったものだった。

高校を卒業し、東京の大学に進学した私は、地元に帰ることが少なくなった。
祖母は文通を好み、季節ごとに手紙をくれていた。
いつも同封されているのは、マリーゴールドの押し花と、手書きの短い詩だった。

「マリーゴールド 夏の光の しずくかな」
——おばあちゃんより

その温かさに触れるたび、胸がきゅっとなる。
でも、忙しさにかまけて返信は滅多にしなかった。
就職してからはさらに時間がなくなり、祖母との距離は手紙だけでつながれていた。

そんなある年の夏、母から電話がかかってきた。
「おばあちゃんがね、入院したの」
思わず携帯を握る手が震えた。
すぐに帰省しようと思ったが、仕事の締切が重なっていて、どうしても抜けられなかった。
「すぐ行けない」と伝えると、母は「大丈夫よ。おばあちゃん、元気にしてるから」と言ったが、その声にはどこか張り詰めた響きがあった。

ようやく休みを取れたのは、それから三週間後のことだった。
駅に迎えに来てくれた母は無言で、ただ私の手を強く握った。
その夜、祖母の家に立ち寄った。
庭は草に覆われ、あのマリーゴールドの花は影も形もなかった。

「…もう、咲かせる人がいなくなったからね」
母の言葉に、私は沈黙するしかなかった。
祖母は、数日前に静かに息を引き取っていたという。

その夜、祖母の部屋をひとりで整理していたとき、古い木箱の中から、一通の手紙を見つけた。
封筒には、私の名前が書かれていた。
差出人は祖母。
日付は、亡くなる数日前のものだった。

「なつこへ
忙しいのは、いいことです。おばあちゃんも若いころ、朝から晩まで畑仕事をしていました。でも、ふと空を見上げる時間が、何より好きでした。

あなたに伝えたいことがあります。マリーゴールドの花言葉、知ってる? “変わらぬ愛” や “思い出”。あなたが東京に行ってから、庭に咲いたマリーゴールドを見るたび、私はあなたのことを思い出していました。

人は、離れていても心がつながっていれば、さびしくないものです。でも、時には戻ってきてね。マリーゴールドも、あなたも、太陽のような存在だから。

おばあちゃんより」

私は、その場で声をあげて泣いた。
どうして、もっと早く帰ってこなかったのか。
どうして、もっと手紙を書かなかったのか。
祖母の筆跡は、震えていたけれど、温かさに満ちていた。

翌朝、私は庭に出て、祖母の道具箱からシャベルと種袋を取り出した。
そこには、まだ封を切っていないマリーゴールドの種が入っていた。
去年、祖母が買ったものだろうか。

膝をつき、土を掘り、種をひとつひとつ丁寧に植えていく。
汗が背中を流れ、涙と混じって土に落ちた。
でも、私の手は止まらなかった。
花が咲くころ、またここに戻って来よう。
祖母が大切にしていた場所で、マリーゴールドと共に彼女の思いを受け継ごう。

数か月後、祖母の庭には再び橙と黄色の花が咲き乱れた。
風に揺れるその姿は、まるで祖母の笑顔のようだった。

私は花たちに手を振りながら、静かに言った。

「おばあちゃん、ちゃんと届いてるよ。ありがとう。私、忘れないよ」