透明なスープの向こう側

食べ物

小山涼太(こやまりょうた)は、塩ラーメンを愛してやまない男だった。
こってり濃厚な豚骨も、甘辛い味噌も悪くはない。
だが、涼太の心を掴んで離さないのは、あの澄んだ黄金色のスープと、ほんのりとした塩のやさしさ。
食べるたびに心が洗われるようで、身体の奥から「ただいま」と声がする。

彼が塩ラーメンと出会ったのは、小学生のとき。
母親に連れられて入った街の中華食堂で、彼は「しょうゆ」でも「みそ」でもなく、なぜか「しお」を選んだ。
出てきたのは、透き通ったスープに白ネギ、青菜、ナルト、それにチャーシューが一枚。
何の変哲もないラーメン。
だが、一口すすった瞬間、涼太の舌は目覚めた。

「なにこれ……おいしい」

それは派手ではない。
でも、静かに、確かに、心を満たす味だった。

以来、涼太は塩ラーメンを追い続けた。
高校の帰り道にも、大学のサークル終わりにも、社会人になってからの休日にも。
全国各地をめぐり、塩ラーメンの名店といわれる場所をリストアップしては足を運んだ。

やがて彼は気づいた。
塩ラーメンには「作る人の心」がそのまま映るのだと。
ごまかしが利かないスープは、素材と技術と誠実さの結晶。
だからこそ、奥が深い。

30歳になった頃、涼太は思い立つ。
「自分の塩ラーメンを作りたい」

勢いだけで会社を辞めたわけではなかった。
休日に試作を繰り返し、だしの取り方を学び、ラーメン職人たちと交流を重ねていた。
塩はモンゴル、沖縄、イタリアなど十種類以上をブレンド。
昆布、煮干し、鶏ガラ、帆立、干し椎茸――素材のうまみを丁寧に抽出し、一滴も濁らせないよう心を込めて作る。

「透明な一杯を、まっすぐに届けたいんです」

そう語る涼太の目は、どこまでも真っ直ぐだった。

そして三十二歳の春、東京の下町に「潮(うしお)」という塩ラーメン専門店をオープンした。
カウンター七席、白木の内装、メニューは塩ラーメン一本勝負。
最初は客足もまばらだったが、地道に積み重ねた味と誠実な接客が口コミを呼び、雑誌にも取り上げられるようになった。

ある日、年配の女性が一人で来店した。
小柄で静かなその女性は、メニューを見ずに「塩ラーメンください」とだけ告げた。
涼太はいつも通り、心を込めて一杯を作り上げた。

女性はゆっくりとレンゲを持ち、スープをすすると、ふっと目を細めた。

「…懐かしい味ね。こんなラーメン、昔、よく食べてたのよ」

涼太は思わず口をはさんだ。

「どこで召し上がったんですか?」

「西荻窪の、古い食堂。もう店はないけれど…息子と一緒に食べたの」

胸の奥がじんと熱くなった。
自分の作った一杯が、誰かの記憶と重なる。
その瞬間のために、何百回も試作してきたのだと涼太は思った。

店を出るとき、女性は涼太の前に立ち止まり、小さく頭を下げた。

「ありがとう。あの頃を思い出せました」

その一言が、何よりのご褒美だった。

塩ラーメンは、派手ではない。
地味で、素朴で、飾り気がない。
だが、それゆえに、伝えられることがある。
言葉にしなくても伝わる「心」がある。

今日も「潮」には、涼太の思いが込められた透明な一杯が静かに湯気を立てている。
誰かの過去をやさしく照らし、明日へとつなげる一杯――。

涼太は言う。

「塩ラーメンは、人生そのものなんです。澄んでいるけど、深い」