朝五時。
まだ陽も昇りきらない薄明のキッチンに、小さな音が響く。
水を満たした大鍋に鶏ガラを入れる音だ。
続けて、ネギの青い部分、生姜の皮、少量の酒が鍋に投入される。
「今日もいい香りが出るかな」
三浦幹夫(みきお)、六十七歳。
定年退職後に始めた“趣味”が、この鶏ガラ出汁作りだった。
元々料理には興味がなかった。
ただ、妻の美佐子が倒れて入院したある日、何気なく作ったうどんに、スーパーで買った粉末スープを使ったら、涙を浮かべた彼女が言った。
「……出汁がないと、味が寂しいわね」
その一言が、幹夫の心に刺さった。
彼女がいつも丁寧に料理をしていたことに、そのとき初めて気づいたのだ。
決して豪華な食事ではなかったが、煮物、味噌汁、雑炊……どれにも「出汁の温もり」があった。
病室に一人残された幹夫は、家に戻るとまず「出汁とは何か」を調べた。
昆布、鰹節、煮干し、干し椎茸……だが、目に留まったのは「鶏ガラ」。
素朴で、深いコクのある味わい。
美佐子が風邪をひいたときに作ってくれた雑炊も、鶏ガラの優しい味だった。
「よし、これだ」
それから幹夫は毎朝、鶏ガラを茹で始めた。
はじめの数回は灰汁の処理も甘く、濁ったスープに苦味が出た。
だが、鍋に向き合い、時間と温度を管理し、素材の声に耳を傾けるうち、出汁は次第に透き通り、香りに深みが増した。
週に二回、地元の精肉店「鳥清」に出向き、朝引きの鶏ガラを譲ってもらうのも日課になった。
最初は店主も怪訝そうな顔をしていたが、今では「三浦さん、今日のガラはいい脂が乗ってますよ」と笑顔で差し出してくれる。
ある日、美佐子の病室に持参したスープ入りの保温ポット。
中には、丁寧に取った鶏ガラ出汁と少量の塩だけで味付けしたスープが入っていた。
スプーンで一口すくい、彼女は目を閉じた。
「……これ、あなたが作ったの?」
「そうだよ。出汁、勉強したんだ」
静かに笑った彼女の目に、うっすらと涙がにじんだ。
「優しい味。すごく、優しい」
それから幹夫は、出汁を使った料理にも手を広げた。
ラーメン、茶碗蒸し、親子丼。
どれも主役は「出汁」だ。
派手な味つけを避け、素材が引き立つように、心を込めて仕込む。
やがて、地域の公民館で「出汁講座」の講師を頼まれるようにもなった。
「男の料理教室」と銘打たれたその教室では、定年後の男性たちが、ぎこちない手つきで鶏ガラを割り、幹夫の指導のもとで出汁を煮出していく。
「灰汁を取るタイミングが大事なんだ。早すぎると香りが逃げる。遅すぎると濁る」
「出汁って、命の残り香みたいなもんなんだ。しっかり感じて、最後まで活かしてやろう」
そんな幹夫の言葉に、参加者たちも少しずつ料理に目覚めていった。
ある年の冬、美佐子が退院してきた。
足元は少し覚束なかったが、家の炬燵に入ると「やっぱりこの家が一番ね」とほっと息をついた。
その日の夕飯は、鶏ガラ出汁の雑炊だった。
卵をゆっくりと溶き入れ、三つ葉を添えた湯気の向こうで、美佐子は微笑んだ。
「ねえ、幹夫。出汁って、あなたみたいね」
「え、俺?」
「うん。目立たないけど、そっと支えてくれるところが」
その言葉に、幹夫は少し照れながらも、静かに笑った。
——それからも幹夫は、変わらず鶏ガラと向き合い続けている。
出汁の香りが立つたび、彼は思うのだ。
「今日も一羽、ありがとうな」
そしてその出汁が、家族や仲間の食卓に、小さな幸せを運んでいく。