電車の窓から世界を

面白い

佐伯拓海(さえきたくみ)は、子どものころから電車に乗るのが好きだった。
特に目的地がなくても、ただ電車に揺られている時間が好きだった。
家族旅行で乗った特急のふかふかの座席、高校時代に通学で使った満員の各駅停車、大学の夏休みに一人で乗った鈍行列車――それぞれの電車には、それぞれの記憶がある。

大人になってもその趣味は変わらなかった。
仕事はごく普通の会社員で、毎日同じオフィスに通っていたが、週末には必ず「どこかへ行く電車」に乗った。
始発駅から終点まで、缶コーヒー片手に窓の外を眺める。
それだけで心がすっと軽くなる気がした。

「どうしてそんなに電車が好きなの?」

そう聞かれるたびに、拓海は少し笑って「うーん、なんでだろうなあ」と答えていた。
本当の理由は、自分でもうまく言葉にできなかった。
旅が好きというよりも、「移動している時間そのもの」が好きだった。

ある日、彼は久しぶりに乗ったローカル線で、ひとりの女性と出会う。
彼女の名前は真理子。
拓海と同じように、目的地もなくふらりと電車に乗っていたという。

「この電車、のんびりしてて好きなんです。ほら、窓を開けると風の匂いがするでしょう?」

彼女の言葉に、拓海は驚いた。
自分と同じように、電車の”時間”そのものを愛している人がいたのだ。

それからふたりは、月に一度の「電車デート」をするようになった。
北へ、南へ、西へ――時には夜行列車で、時にはトロッコ列車で、ただ座席に並んで座り、車窓の流れる風景を語り合った。時々、何も話さずにただ静かに過ごすこともあったが、それがまた心地よかった。

季節がめぐり、出会って一年が過ぎたころ、拓海は真理子に言った。

「ねえ、ふたりで“鉄道婚”っていうのはどう?」

「えっ?」

「駅のホームで結婚式。そしたら、電車に乗るたびに思い出せるじゃないか。あの日のことを。」

真理子は目を見開いてから、ぷっと吹き出して笑った。

「ほんと、あなたって変わってる。でも、いいかも。私たちらしくて。」

ふたりの結婚式は、思った以上に話題になった。
ローカル線の終着駅のホームで、小さな式。
列車の到着アナウンスをBGMに、ふたりは誓いの言葉を交わした。
列車が汽笛を鳴らし、スーツ姿の拓海と白いドレスの真理子が手をつないでホームを歩く。
駅員さんも、地元の乗客たちも拍手してくれた。

「これからも、ふたりでいろんな電車に乗ろうね」

真理子がそう言うと、拓海は「もちろん」と答えた。

人生は、終点の見えない旅のようだ。
でも、誰かと一緒にその旅を続けられるなら、どんな車窓もきっと美しく見える。

彼らの旅は、今日もどこかのホームから始まっている。