高木亮(たかぎ・りょう)は、いわゆる“ティッシュマニア”だった。
といっても、鼻炎に悩まされているわけでも、コレクターとして珍品を集めているわけでもない。
彼の関心は「質」ただ一点に絞られていた。
「柔らかさ」「吸収力」「破れにくさ」「肌への優しさ」。
そのすべてが高次元でバランスされていなければ、彼にとってティッシュと呼ぶ資格はなかった。
彼の部屋には、常時15種類以上のティッシュが並んでいる。
外国製の高級ブランドから、コンビニで手に入る日本製の定番品、無名メーカーの業務用まで。
その棚はまるで実験室のようで、ひとつひとつにメモが貼られていた。
“初回感触良好、湿気に弱い”
“手揉みでさらに柔らかくなるが、箱からの取り出しに難あり”
“コストパフォーマンスは高いが、角が肌に刺さる感覚”
家に客が来ようものなら、彼は決まってこう尋ねる。
「鼻をかみたくなったら、どの種類を使ってみたいですか?」
返答次第では、その人への評価が変わることすらあった。
ある日、職場の同僚・村上が、花粉症に苦しんでいた。
「なあ高木、お前ってやたらティッシュに詳しかったよな? おすすめ教えてくれよ……もう鼻がヒリヒリしてたまらん」
その瞬間、高木の目が光った。
「花粉症か……それなら“白雪レガーレ”だ。吸水性と柔らかさのバランスが絶妙で、長時間の連用にも耐えられる。肌荒れも抑えられるから、週末までにはだいぶマシになるはずだ」
村上は半信半疑で言われたティッシュを使ってみた。
結果、たしかに鼻のヒリつきが和らいだ。
「すげぇな、高木。ほんとに助かったよ。なんでそんなにティッシュに詳しいんだ?」
高木は微笑んだ。
「……子どもの頃、重度のアトピーだったんだ。肌が敏感すぎて、ちょっとこするだけで炎症が起きた。ティッシュなんて、拷問器具だったよ。けど、ある日母親が見つけてきた“ある1枚”が俺の救いになった」
彼は静かに続けた。
「それは今ではもう製造されていない。けど、あの『感触』だけは忘れられなかった。以来、あれに近い1枚を探してる。まだ見つかってない」
村上は黙って頷いた。
そこに込められていたのは、単なる変わり者の趣味ではなく、生き延びるための“哲学”だったのだ。
数か月後。
村上はある旅行先の雑貨店で、見慣れないパッケージのティッシュを見つけた。
何気なく手に取り、触れてみると、驚くほどに柔らかく、指の水分すらすっと吸い取る繊細さを感じた。
──もしかして、これかもしれない。
東京に戻った村上はすぐに高木にティッシュを手渡した。
「これ、旅先で見つけたんだ。ちょっとお前、試してみてくれないか?」
高木は黙ってパッケージを開け、ティッシュを一枚引き抜く。
その瞬間、手が止まった。
「……これは……近い。いや……かなり……」
震える指先でその一枚を頬にあてがった彼は、ゆっくりと目を閉じた。
その顔に、ほのかな安堵と懐かしさの混じった笑みが浮かぶ。
「ありがとう。……ようやく、たどり着いたかもしれない」
それは、彼にとっての「救いの記憶」と再会した瞬間だった。
それ以来、彼のティッシュ棚にはひとつの空間が生まれた。
“最上位:雪の幻(※村上提供)”と名付けられたその場所は、ガラスケースの中にそっと保存されていた。