夏の終わり、商店街の外れにある小さな喫茶店「こもれび」は、ひっそりと営業していた。
木製の扉に掛けられた「OPEN」の札は色あせ、冷房の効いた店内にはレトロな扇風機がのんびりと回っている。
高校三年生の美咲は、その店の奥の席に座っていた。
目の前には、小さなガラスの器に盛られた淡いピンク色のシャーベット。
スプーンを入れると、シャリッと心地よい音がした。
口に運ぶと、冷たさとともに、やさしい甘さと、ほんの少しの酸味が広がる。
「おばあちゃんの味、だね……」
美咲はぽつりとつぶやいた。
この喫茶店は、去年亡くなった祖母の行きつけだった。
彼女はいつもここで、いちごのシャーベットを頼んでいた。
決して豪華なデザートではない。
でも、祖母はこのシャーベットを「夏の宝物」と呼んでいた。
喫茶店のマスターである中年の女性・藤原さんが、奥からそっと現れる。
「おばあちゃん、よくこの席に座ってたのよ。窓から光が差し込んでね、いちばん好きだったって」
「……そうだったんですね」
「シャーベット、どう? 去年仕込んでたレシピを探して、やっと思い出して作ったのよ」
「びっくりするくらい、同じ味でした」
藤原さんはほっとしたように微笑んだ。
「おばあちゃん、最後の夏に“いちごがまだ残ってるから、あの子に食べさせてあげてね”って言ってたの。あの子って、あなたのことよ」
美咲は言葉を失った。
祖母の家の冷凍庫に、大事そうに包まれた冷凍いちごがいくつか入っていたことを思い出す。
誰も手をつけられずにいたそれが、今こうして、シャーベットになって自分の前にある。
「これが、最後のいちごなんですか?」
「ううん。まだもう少しある。でもね、それもあと何回分かしら」
美咲はスプーンを止め、窓の外に目をやった。
蝉の声がまだしぶとく響いていて、空には少しだけ秋の気配が混じっている。
「私……受験勉強がしんどくて。何のために頑張ってるのか、わからなくなるんです」
藤原さんは、少し笑った。
「おばあちゃんね、あなたが“自分で選んだ道を歩ける子になりますように”って、いつも話してたのよ」
「……選んだ道、ですか」
「ええ。おばあちゃん、あのシャーベットを作るとき、いつも“自分の味”になるようにって、レシピを少しずつ変えてた。甘すぎないように、でも冷たすぎないように」
美咲は、シャーベットをもう一口すくって、口に運んだ。
優しさの中に、どこか懐かしい哀しさが溶けている。
まるで祖母がすぐそばに座っているような気がした。
「わたし、大学、東京に行こうと思ってます」
「そう。がんばって。おばあちゃんも、きっと“いってらっしゃい”って言うわ」
しばらく沈黙が続いた。
シャーベットは少しずつ溶けていく。
それでも美咲は、最後のひとさじまでゆっくりと味わった。
「また、来てもいいですか?」
「もちろん。来年も、いちごのシャーベット作るわ。あなただけのために」
その日、美咲は店を出たあと、まっすぐ空を見上げた。
太陽はまだ強く照っているけれど、その光の奥に、どこか優しい影があった。
夏の終わりに、ひとつだけ、忘れられない味が胸に残った。