太陽の手紙

面白い

三鷹市の国立天文台。
その地下の観測データ室に、彼は毎日欠かさず通っていた。

名を、柳井拓海という。
三十七歳。
小柄で眼鏡をかけ、話し声は小さいが、太陽のことを語るときだけは声が大きくなった。
彼は太陽の磁気活動と黒点の周期変動を研究する天文学者だった。

「誰もが空にあると思っている太陽は、実はものすごく気まぐれな存在なんです。ある時は穏やかに、ある時は爆発的に暴れ出す。私たちの生活は、それに左右されているんです」

だが、彼の研究は、世間にはほとんど注目されなかった。
太陽フレアの観測データは確かに重要だが、日常生活に直結する実感が薄く、研究費も削られがちだった。
それでも柳井は、十年以上、太陽を見続けていた。

理由は、一枚の手紙にあった。

大学時代、太陽物理学のゼミで出会った女性がいた。
名を、石川彩香という。
彼女は柳井と同じように太陽の磁場に魅せられ、よく二人で観測に出かけた。

卒業間近、彼女は突然、姿を消した。
残されたのは一通の手紙だった。

──「私は太陽の中に何かを見てしまったの。誰にも信じてもらえないと思う。けど、あなたなら分かるかもしれない」

手紙には、太陽観測衛星から得られたデータの断片と、奇妙なスケッチが添えられていた。
まるで、太陽の中に“構造”があるかのような描写。

彼女が精神的に不安定だったという噂もあった。
けれど柳井は、その手紙のことを忘れなかった。
何年経っても、頭から離れなかった。

以来、柳井は太陽の「異常なパターン」を探し続けた。
あのスケッチに似た磁場構造を、データの海から必死に探し出そうとしていた。

ある日、彼は久しぶりに夜の研究室に残っていた。
太陽観測衛星「ひので」から送られてきた最新の磁場データを解析していると、ふと画面に奇妙なノイズが走った。

「これは……?」

拡大してみると、磁場のねじれが異常な形を示していた。
渦巻き状の構造。
それは、石川彩香のスケッチに酷似していた。

まさかと思い、彼は過去十年分のデータを一気に遡った。
異常な磁場構造は、約十一年周期で現れていることが分かった。
太陽活動周期と一致していた。

──彼女は本当に、何かを見つけていたのか?

柳井は自らの仮説をまとめ、論文に仕立てた。
だが、同僚の反応は冷ややかだった。

「この程度の変動なら誤差の範囲だ」
「スケッチを根拠にされてもなあ」
「もっと確実な観測が必要だ」

それでも彼は信じた。信じるしかなかった。

数ヶ月後、柳井の元に一通の封書が届いた。
差出人不明。
中には、彩香の筆跡で書かれた手紙が入っていた。

──「あれから、太陽の中にある“意志”を感じるようになった。これは比喩でも幻想でもない。私たちはまだ、太陽という存在を知らなすぎる」

手紙の最後には、座標と日付が書かれていた。

柳井はその座標をもとに太陽望遠鏡を向け、観測を開始した。
そして、予想された日時、太陽面に突如として巨大なフィラメント構造が現れた。

それは、言葉にできない形だった。
人為的としか思えない幾何学。
太陽が何かを伝えようとしているかのような、奇妙な規則性をもっていた。

柳井は震えながら観測データを保存し、再び論文を書いた。
今度は「自然現象では説明できない太陽磁場構造の規則性」というタイトルだった。

論文は、賛否両論を巻き起こした。

その年、国際天文学会議で柳井は発表を行い、壇上からこう語った。

「太陽は、ただのガスの球体ではありません。そこには、まだ私たちが名づけていない何かが、存在しているかもしれない。私たちはそれを“神”と呼ぶべきなのか、“知性”と呼ぶべきなのか、まだ分かりません。しかし、観測は嘘をつきません」

会場は静まり返っていた。

柳井は、それからも太陽を見続けた。
彼女がどこにいるのかは、今も分からない。
けれど彼の研究は、彼女の残した“問い”に、ずっと答えようとしていた。