霧の島の灯台守

面白い

嵐の夜、航海中の船が荒波に呑まれ、青年・タカシは意識を失った。
目覚めた時、彼は見知らぬ浜辺に打ち上げられていた。
周囲に人影はなく、聞こえるのは波音と風のざわめきだけ。
そこは、地図にも載っていない無人島だった。

タカシは助けを求めて島を歩き始めた。
だが、奇妙なことに気づく。
島の奥に進んでも、太陽の位置がまったく変わらないのだ。
朝なのか昼なのか、時間の流れが止まっているかのようだった。

島の中央には、古びた灯台が建っていた。
階段は崩れかけていたが、タカシは中に入り、最上階まで登った。
そこには意外にも人影が――背中を向けた老人が、静かに海を見下ろしていた。

「ようこそ、霧の島へ」

老人はゆっくりと振り返り、優しく微笑んだ。

「助けを呼びたいんです。ここはどこですか? 携帯も電波が――」

「ここは“どこでもない場所”だよ。来た者もいれば、戻れた者もいる。だが、それは望んだ者だけだ」

タカシは言葉を失った。
老人は“灯台守”と名乗り、数十年ここで過ごしていると言う。
毎日灯りを点し、来るべき船を導く役目を果たしているのだと。

「でも、船なんか通らないじゃないですか!」

「見えていないだけだ。ここは“忘れられた人々”が流れ着く場所。過去や後悔に囚われた者たちの魂が、時折立ち寄るんだよ」

その夜、タカシは灯台の下で眠った。
夢の中で、亡き妹の声を聞いた。

「お兄ちゃん、まだ自分を責めてるの? 私は怒ってないよ……」

妹を事故で亡くした日から、タカシはずっと自分を責めていた。
彼女を迎えに行くはずだったのに、寝坊してしまった。
その後、彼女は交通事故に遭い、帰らぬ人となった。

目覚めたタカシの目には涙が浮かんでいた。
灯台守は静かに言った。

「許しを得たのなら、帰る準備をしなさい。この島に留まる必要はもうない」

翌朝、島に濃霧が立ちこめ、水平線の向こうに小舟が現れた。
タカシは灯台守に深く頭を下げ、船に乗った。

「あなたは……どうして島に残るんですか?」

「私は、望んだからさ。忘れたいことも、忘れたくないことも、ここに置いてきた。だが君は違う。まだ、生きる道がある」

霧の中、舟は音もなく進み――気づけばタカシは、病院のベッドで目を覚ましていた。
嵐の事故から三日が経っていたという。

その後、彼は人生をやり直すことを決めた。
妹の夢を叶えるべく、保育士として働き始めた。
あの島の記憶は、夢だったのかもしれない。
だが、ある晩ふと夜空を見上げると、海の向こうに微かに光る灯台の明かりが見えた気がした。

霧の島は、今もどこかで灯りを灯し続けているのかもしれない。