もも飴と、ひとつぶの記憶

食べ物

佐伯遥(さえきはるか)は、もも味の飴が大好きだった。
それはもう、子供のころからの話で、ランドセルに忍ばせた小さな巾着袋には、必ず数粒のもも味のキャンディーが入っていた。
甘くて、やさしい味。舐めると口いっぱいに春が広がるような気がした。

「もも味って、ちょっとさみしい味だよね」と、昔、誰かに言われたことがある。

たしかに、甘すぎず、すこし物憂げな香りがする。
だけど遥は、そんな“さみしい味”が好きだった。
忙しい日々、気づけば飴を買い忘れることもあったけれど、節目節目には不思議と口の中にあの味がよみがえってきた。

大学を卒業して数年、遥は東京の小さな広告会社で働いていた。
派手さはないが、丁寧な仕事を心がけていた。
だけど、都会の喧騒と、人間関係の板挟み。
息が詰まるような毎日に、ふと、ある日コンビニで買ったもも味の飴を口に含んだ。

「…あ、これ、小さい頃のやつに似てる」

パッケージも少しレトロで、昔の駄菓子屋に並んでいたようなデザイン。
あまりに懐かしくて、つい5袋もまとめ買いしてしまった。
デスクの引き出しに入れておいて、疲れた時にひとつぶ。
そうやって、飴を舐めながらふと、彼女はある人の顔を思い出した。

祖母だ。

遥の祖母は、田舎でひとり暮らしをしていた。
幼い頃、夏休みや冬休みになると祖母の家に泊まりに行った。
そこでよくもも味の飴をもらったのだ。

「はるちゃんは、ももが好きやねぇ。やさしい子になる味やで」

祖母の手は、いつも少しひんやりしていて、でも心があたたかくなるような安心感があった。
祖母は数年前に亡くなった。
仕事が忙しくて、お葬式にはギリギリ間に合った。
けれど、最期には会えなかった。
あの時の後悔は、今でも胸の奥に小さく、でも確かに残っている。

だから、かもしれない。

もも味の飴を舐めるたびに、遥は心の奥で「ごめんね」とつぶやいていた。
あのやさしい味に、許しを求めるように。

そんなある日、会社の帰り道、商店街の一角に小さな駄菓子屋を見つけた。
今どき珍しい店構えで、ガラスのショーケースに手描きのポップが貼ってある。
ふらりと入ると、昔と変わらぬ空気が広がっていた。

「いらっしゃい。珍しいねぇ、お姉さんみたいな人が来るのは」

奥から出てきたのは、小柄なおばあさんだった。
遥は、ガラスケースの中に見つけた。
それはまさに、祖母がくれたあのもも味の飴だった。

「これ…、ずっと探してたんです」

「これかい? これね、昔から変わらん味やよ。わたしの孫も好きやったんよ」

思わず、目頭が熱くなった。
知らない人の話なのに、なぜか心がぽかぽかしてくる。

遥は、その飴を10袋買った。
家に帰って、お湯を沸かし、ソファに座って一粒、ゆっくりと舐めた。

ふんわりと広がる、やさしい甘さ。
少し涙がこぼれて、口の中でもも味が混ざった。

それでも遥は笑った。
この味をずっと好きでいてよかった、と。

「おばあちゃん、ありがとう。わたし、元気だよ」

夜の部屋に、飴の包み紙がひとつ、カランと転がった。