「なんでそこまで“なると”が好きなんだよ?」
そう聞かれるのは、もう慣れっこだった。
佐伯奏多(さえき・かなた)、高校一年生。
彼は、ラーメン屋に行けばまず「なるとの量」を確認する。
コンビニのカップ麺を選ぶ基準も、「なるとが入っているかどうか」。
家族で鍋をするときは、「今日もなると、ある?」と聞く。
クラスメイトには「変わってるなぁ」と笑われるが、彼にとってなるとはただの具材じゃない。
「だって、渦巻きだぞ?白とピンクで、こんなにカワイイのに、魚でできてるんだよ?意味がわからないぐらい完璧だよ!」
そう語る目は本気だった。
奏多の“なると愛”は、小学二年生のときに食べたラーメンがきっかけだった。
体調を崩して寝込んでいた日に、父親が買ってきてくれた醤油ラーメン。
湯気の中に浮かんだ一枚のなるとが、なぜか妙にきれいで、食欲も元気もそれで一気に戻った。
以来、彼にとってなるとは“元気の象徴”になったのだ。
――なるとは、ちっちゃいけど、なんだか希望を感じさせる。
そんな想いが、どんどん膨らんでいった。
高校に入ってから、彼は「なると研究会」を作ろうとした。
もちろん、先生からは「ふざけてるのか?」と怪訝な顔をされた。
でも奏多は真剣だった。
「なるとって、実は伊達巻の仲間で、江戸時代からあるんです!形に意味があって、“渦巻き”は縁起物。もっと評価されていいんです!」
結局、研究会は作れなかったが、彼は個人で「#なると推進計画」と題してSNSに投稿を始めた。
全国のラーメン屋のなるとを紹介し、なるとの豆知識、なるとのアート、果ては「なるとだけ集めた弁当」まで披露した。
最初はほとんど反応がなかったが、ある日、ひとつの投稿が拡散された。
《知らなかった…なるとってこんなに奥深いんだ!》
《この人の投稿見てから、ラーメンのなるとが愛おしく感じる》
《うちの店にもなると入れてみたら、子どもに大人気でした》
それは、奏多が自作した「なるとの図解ポスター」の投稿だった。
すると、それを見たラーメン屋の店主や食品業者が、奏多に連絡をくれるようになった。
ある日、近所の老舗ラーメン屋「まるよし」の店主が言った。
「うちのラーメン、昔はなると入れてたんだけどね。コストとかでやめちゃって。でも、君の投稿見て、また入れたくなったんだよ。ありがとうな」
その言葉に、奏多は泣きそうになった。
自分の“好き”が、誰かの中に小さな変化を起こした。
小さいけれど、はっきりとした“渦”が、世の中に広がっていくような感覚だった。
文化祭の日、奏多は「なると展」を開催した。
ポスター展示、なるとグッズ販売、なると入り特製ラーメンの出店。
当初は誰も来ないと思っていたが、SNSで話題になったこともあり、長蛇の列ができた。
「なるとだけ売ってないんですか?」
「これ、なるとのピアスですか?可愛い!」
「うちの娘が“なると”大好きで…連れてきちゃいました」
予想外の盛況に、奏多は圧倒された。
あの日食べた、一枚のなると。
それが、今やたくさんの人の笑顔につながっている。
派手じゃない。
主役じゃない。
でも、確かにそこにあって、誰かを元気にする存在。
「やっぱり、なるとってすごいよな…」
彼は、ラーメン鉢の中に浮かぶ一枚の渦巻きを見つめながら、そうつぶやいた。