すずらんの誓い

面白い

高原の奥深く、誰にも知られていない小さな谷に、一面にすずらんが咲く場所があった。

その谷は「白鈴の谷」と呼ばれ、春の終わりにだけ白くかすむように花開くという。
人々はそれをただの伝説だと笑ったが、本当にその谷を知る者は、たった一人しかいなかった。

名をリラという少女。
年老いた祖母と共に山の麓に暮らしていた。
リラは幼い頃から、祖母が語る不思議な話に耳を傾けて育った。
なかでも、すずらんの谷の話は彼女の心を捉えて離さなかった。

「その谷のすずらんは、人の想いを映す花なのよ」

祖母はそう言って、夜になるとリラの髪を梳かしながら語ってくれた。

「もし心からの願いがあるなら、その花に囁いてごらん。けれど、すずらんに嘘をついてはならない。真実の願いしか、花は受け取らないのよ」

春のある日、祖母が眠るようにこの世を去った。
リラは深い悲しみに包まれ、日々をただぼんやりと過ごすようになった。
世界が色を失ったように思えた。

そんなある日、リラはふと、祖母の古い日記を見つけた。

そこには、こう記されていた。

「白鈴の谷は本当にある。あの日、私はあの谷で“彼”と再び出会った。けれど願いは叶わなかった。私は、嘘をついてしまったから」

リラは心を決めた。
祖母が見たというその谷を、自分の目で確かめたい、と。

準備を整え、山に入ったのは、新月の前夜だった。
霧が立ち込める森の中、細い獣道を頼りに進み続ける。
誰かに導かれるように、ただ静かに。

そして、夜明け前、彼女はそれを見つけた。

谷一面に咲き誇る、白いすずらん。
朝露に濡れた小さな鈴たちが、風に揺れて微かに鳴る。
どこか懐かしく、胸を締めつけるような音だった。

リラは花の中に膝をつき、目を閉じて囁いた。

「おばあちゃんに、もう一度会いたい」

風が止み、辺りが静まり返った。
次の瞬間、花々の間に一つの光が立ち上った。

それは祖母の面影を宿した、優しい光だった。

「リラ…お前は、真実を話したのね」

祖母の声が、谷に響いた。

リラは涙をこぼしながら頷いた。

「もう一度だけ、ありがとうって言いたかった」

光は静かに微笑んだ。

「それなら、願いは届いたわ。この谷の花は、真の想いに応えるの」

祖母の姿は、やがてすずらんの香りと共に、空へと還っていった。

リラはその場にしばらく座り込み、谷の音を聞いていた。
鈴の音は、もう恐ろしいほど静かで、けれど心を満たしてくれた。

それからというもの、リラは毎年、春の終わりにだけ谷を訪れる。
人には決して語らず、ただそっと、祖母と交わした言葉を胸に秘めながら。

すずらんの谷は、今もどこかで静かに花開いている。
そこに咲く一輪一輪が、誰かの真実の願いを、そっと受け止めているのだ。