直す男

面白い

町のはずれに、古びた工房がある。
看板はもう文字がかすれて読めないが、地元の人々はそこを「直す男の店」と呼んでいた。

そこに住むのは、五十代半ばの男、名を佐伯隆志(さえき・たかし)という。
背は高くないが、無口で手が大きく、眼鏡の奥の目はいつも細かいものをじっと見つめている。
時計、ラジオ、自転車、玩具、扇風機、靴、傘……彼のもとにはあらゆる壊れたものが持ち込まれる。

どれも、もう使えないと言われた物たちだ。
しかし、佐伯は決して首を横に振らない。

「直るかもしれません」

それが彼の口癖だった。

ある冬の日、一人の少女が店にやってきた。
小学三年生くらい、髪は肩までで、コートのポケットから何かを大事そうに取り出した。

「おじさん、これ、直せますか?」

それは小さなオルゴールだった。
蓋の上に踊るバレリーナが乗っている、古風な代物だ。
だが、ネジを巻いても音が鳴らず、バレリーナも回らない。

「音が出ないんです。おばあちゃんの形見で、落としちゃって……」

佐伯はオルゴールを手に取り、静かに頷いた。

「直るかもしれません」

それから数日間、工房には少女の姿がなかった。
佐伯はオルゴールを分解し、欠けた歯車を削り直し、断線したゼンマイを慎重につなぎ、壊れた木箱に丁寧にニスを塗った。

四日目の夕方、少女がやってきた。佐伯は無言でオルゴールを差し出した。
少女がネジを巻くと、途端に「エリーゼのために」の旋律が流れ、バレリーナがくるくると回った。

「……すごい!おばあちゃんの声が聴こえるみたい!」

少女は目を輝かせた。
佐伯は微笑みながら、こう言った。

「物には、人の思いが染み込んでる。それが壊れたとき、思い出も一緒に沈んでしまう。でも、直せば……また思い出せる」

少女は深く頷いたあと、礼を言って帰っていった。

彼の工房には、そうした「思い出」がたくさん転がっている。
壊れたラジカセには父の声、壊れたカメラには家族の笑顔、壊れた扇風機には、夏の縁側の風。佐伯は物を直すことで、人の記憶と心をも修復していたのかもしれない。

ある日、町に大きなホームセンターができた。
便利な修理サービスも始まり、人々は徐々に佐伯の工房から離れていった。

それでも佐伯は変わらず、静かに作業を続けていた。

ある晩、佐伯のもとに青年が訪れた。
スーツ姿のその男は、何かを懐から出した。

「これ、直せますか」

それは、ひどく古びたカセットテープだった。
表紙には「父の声」と書かれている。

「小さい頃、これで父が読み聞かせてくれたんです。でも、再生できなくなって。修理に出したら『新しく録音したら?』って言われました。でも……声はもう、録音できないんです」

佐伯は黙って受け取った。

数日後、カセットテープは復活し、青年は工房で涙を流しながら父の声に耳を傾けた。

「ありがとうございます。こんな場所が、まだ残っててよかった……」

青年がそう言って去ったあと、佐伯は独り言のように呟いた。

「直せないものもある。でも、あきらめなければ、何かは残る」

外は静かな夜だった。
月明かりが工房のガラス窓に反射し、そこには「直す男」が映っていた。

今夜もまた、誰かの思い出が、静かに修復されていく。