ある朝、ひとりぼっちの小さな町のパン屋「こむぎのしらべ」に、ふしぎなお客さまがやってきました。
くるくるの金色の髪、白いマントに身を包んだ少女は、そっとカウンターに近づくと、声を潜めて言いました。
「ふわふわの、雲みたいなパンケーキ、ありますか?」
店主のクマおじさんは、ちょっと驚いた顔をしました。
この町では固くてしっかりしたパンが好まれ、パンケーキなんて何年も作っていなかったのです。
「むかし、一度だけ作ったことがあるよ。けど、誰にも売れなかったからなあ」
少女はにっこり笑いました。
「それでいいんです。ふわふわで、誰にも届かないくらい高いところに浮かぶパンケーキが、必要なんです」
なんだかよくわからないけれど、クマおじさんは久しぶりにパンケーキの道具を取り出し、卵を割り、小麦粉と牛乳を合わせ、静かに焼き始めました。
焼いているうちに、ふんわり甘い香りが町中に広がっていきます。
まるで夢の中の朝ごはんのような匂いでした。
パンケーキが焼き上がると、少女はそれをじっと見つめ、両手を合わせました。
「これで、空へ帰れます」
彼女がそう言うと、パンケーキはふわりと宙に浮かび、みるみるうちに大きくなっていきました。
気がつけば、パンケーキは本物の雲のようにふくらみ、まるで空の船のようになっていたのです。
「ありがとう、クマおじさん」
少女はパンケーキ雲の上に乗ると、空へと舞い上がっていきました。
クマおじさんと町の人々が空を見上げる中、少女はくるりと一度だけ振り返って手を振りました。
彼女の正体は、空の国の王女様。
地上に降りてきたのは、なくしてしまった「ふわふわの心」を取り戻すためだったのです。
空の国では、雲を育てる魔法が失われ、空がだんだんと重く暗くなっていました。
でも、地上のパンケーキの優しい香りと味が、忘れていた気持ちを思い出させてくれたのです。
それからというもの、町ではふわふわパンケーキが人気になり、朝になるとパン屋の前には行列ができるようになりました。
クマおじさんも、毎日うれしそうにパンケーキを焼きます。
ふわふわのパンケーキには、なんだか心まで軽くなるような、不思議な力が宿っていました。
そして空を見上げれば、たまにふんわりとした雲のかたちが、パンケーキに見えることがあります。
もしかしたら、王女様がまた地上に遊びにきているのかもしれませんね。