雨上がりの夕暮れ、商店街の一角にある小さな和菓子屋「まるよし堂」から、ほのかに甘じょっぱい香りが漂っていた。
串に刺さった小ぶりの団子に、照りのある琥珀色のみたらし餡がとろりとかかっている。
「やっぱ、これだよなあ……」
そう呟きながら、団子を一口かじったのは、大学生の望月翔太。
二十歳になったばかりだが、みたらし団子を食べている姿は子どものようだった。
彼は毎週金曜の夕方、決まってここに寄り道する。
高校の時からの習慣だ。
店の奥から、白髪の店主・吉村が顔を出した。
「翔太くん、いつもありがとねえ。今週は三本?」
「はい、三本でお願いします。今日のは特にいい匂いですね」
「ふふ、今日は少しだけ醤油を焦がしてみたんだ。香ばしいだろ?」
「さすが吉村さん……。他の店じゃこうはいかないですよ」
翔太はそう言って笑ったが、その瞳にはどこか寂しさが滲んでいた。
吉村はそれに気づいていた。
翔太がこの店に初めて来たのは中学三年の春、母親に連れられてだった。
その母親が病気で亡くなったのは高校二年の冬。
以来、翔太は一人で店に通うようになった。
――そして、毎回みたらし団子だけを頼む。
「母さんの好きだった味なんです。甘すぎなくて、ちょっとだけしょっぱいこの餡。子どもの頃から、家で作るより、ここが一番って言ってました」
ある日、翔太がそう話したことがあった。
「でも、本当は俺も、あの味が恋しくて……」
彼は団子を食べながら、母と並んで歩いた商店街を思い出す。
雨の日も、風の日も、母は翔太の手を引いてこの和菓子屋に寄っていた。
みたらし団子を買って、帰り道に二人で一本ずつ分け合って食べるのが、小さな幸せだった。
「お母さんがいたら、今年は成人式だったんですって、報告したんだけどな」
翔太はポツリと呟いた。
「うん、きっと聞こえてるよ。団子の香りに誘われて、そっと来てるかもしれないね」
吉村のその言葉に、翔太は小さく笑った。
「それなら、ちょっと恥ずかしいですね。母さん、いつも俺の食べ方汚いって怒ってたから」
二人はしばらく笑い合った後、静かな間が流れた。
翔太は最後の一本を丁寧に食べ終え、串を紙袋にしまうと、ぺこりと頭を下げた。
「ごちそうさまでした。また来週来ます」
「うん、待ってるよ。来週は春限定の“桜だんご”も出すからね」
「えっ、でも……俺、みたらし一筋で……」
「それでも、春には春の味があるんだよ。お母さんもきっと、食べてみなさいって言うさ」
翔太は少しだけ考え、うなずいた。
「……じゃあ、一本だけ試してみます」
「それでいいさ。団子は味だけじゃなくて、思い出も一緒に味わうものだからね」
外に出ると、商店街のアーケードに西日が差していた。
遠くで子どもの笑い声が聞こえる。
翔太は歩きながら、ふと空を見上げた。
母の声が聞こえた気がした。
「ちゃんと前を見て歩きなさい」
そう言われたようで、翔太は口元を緩めると、しっかり前を向いて歩き出した。
両手には、今日も変わらず、みたらし団子が三本。
そして来週には、新しい一本が加わる。